9・11事件に始まり、アフガニスタン攻撃、イラク戦争と続くイスラーム世界の深刻な危機は、各国の研究者に、それにどう向かい合うかを迫り続けている。東洋学の大御所であるバーナード・ルイスは、対テロ戦争の推進者であるネオコンの「教師」として、再び論壇を賑(にぎ)わせた。そのルイスを、二十数年前に西欧の中東に対する「オリエンタリズム」として批判、論破して一躍脚光を浴びたエドワード・サイードは、対イスラーム偏見へと逆行する欧米の論調に抗しながら、一昨年他界した。
さて、わが日本である。日本は欧米と異なり独自のイスラーム学を確立してきた。西洋哲学と東洋思想を抱合した井筒俊彦氏は、すでに50年以上前に日本国内はむろんのこと、西欧、イスラーム諸国で高い評価を得ている。だがその学問的蓄積が、今のイスラーム認識の危機において紐解(ひもと)かれることは、ほとんどない。
そのことに、井筒氏の一番弟子とも言える著者は、怒っている。浅学なイスラーム理解が横行するばかりの現状に、伝えずにはいられないとの思いが、すでに大家の地位揺るがぬ著者をして本書を書かせた。その静かな、しかし切迫した使命感には、感動すら覚える。
商業的宗教としての発祥、イスラームの即物的思考と精神性重視の二面性が、預言者のメッカ時代とメディナ時代にさかのぼれること、それが現在のスンナ派とシーア派、あるいはスーフィーの差異として表れていること、イスラームの神の人格性、倫理性、唯一性、イスラームにおける魂の働きなど、「日本人にとって……受け容れるのが困難で、また中々理解できない」と繰り返しつつも、極力読者に伝わるような筆致で、その本質を解読していく。神と人間の関係を、ブーバーやフロムをひきつつ語る本書からは、矮小(わいしょう)化されたイスラームの姿は消え、豊かな哲学的思惟(しい)が広がる。
「受け入れがたい」異文化を、「日本人の価値観で外から眺め」ず、「浅い次元からでなく、深く根源的に」理解すべきだとの主張は、イスラーム理解に限らず異文化理解一般に必要な姿勢だろう。