「心の理論」とは、他人の心を推定することをいい、4歳ぐらいで発達する能力だ。著者は巧妙な実験により、チンパンジーにその能力があることを78年に発表した。ところが反論も多く、大論争に発展した。現在では「留守中にバナナを違う容器に移されたとき、帰ってきてどの容器を捜すか」といった、いわゆる「誤信念問題」を解くことが「心の理論」だということになり、チンパンジーでは未(いま)だ証明されてはいない。しかし、この一連の論争は認知心理学や発達心理学を大いに発展させた。その経緯は7章で語られているが、「心の理論」の定義に関しては、著者はかなりご不満げ。
言葉を話さない幼児やチンパンジーに様々な心理テストを実施するためには、並々ならぬ工夫が必要だ。著者の成功は、その工夫に加えて天才的なメスのチンパンジー「サラ」との出会いが大きい。本書では比較的あっさり記述しているが、それでもサラに対する想(おも)いは伝わってくる。もうひとつの成功要因は、プラスチック片で単語をあらわす「プラスチック語」を学習させたことだ。
言語を学習していないチンパンジーでも、違いを区別する学習を続けていると、独自の言語(単語レベル)を発達させる。ところがその個体は、「同じ」「違う」というプラスチック語を習得した個体に比べて、様々な領域ではるかに能力が劣る。このことから、人間の言語の知能への貢献が推察できる。ただし、メタファー(暗喩(あんゆ))など従来は言語特有の機能と考えられていたものが、チンパンジーにも存在する等価性という概念に支えられていることなども明らかにしている。
因果性とかアナロジーとか、じつに様々な能力をテストするために、方法論を工夫してチンパンジーに相対する後半部分は迫力満点で興奮を誘う。最後に、これらの知見を生かして、新しい教育論を展開しているが、一聴に値する。
人を人たらしめている心の構成要素を、丹念に調べ上げた好著だ。
「人類は、哲学的な観点からではなく、科学的な観点から、自分たちがなに者なのかを理解し始めている」