社会秩序の安定のためにタブーが形成されることはよくある現象である。第2次世界大戦後、ヒトラーは最大の負のタブー、絶対悪として戦後秩序の安定化装置の役割を果たしてきた。冷戦時代においてすらナチズムを悪と見なす価値観は東西間で共有され、国際秩序の根底をなしてきたし、ドイツにおける戦後コンセンサスは、ヒトラーを指導者となし、その悪行を防げなかった罪を認めることと、ヒトラーを例外的な悪とすることでドイツ史を救済することとの微妙なバランスの上に成り立ってきた。
しかし時代の変化と共に秩序やコンセンサスの有効性は低下し、歴史に対する問い直しが強まる。フェストは、60年代からヒトラーを始めとするナチス指導者を研究し、邪悪だがしかし人間的な存在として描いてきたドイツの歴史家である。
著者によれば、ヒトラーは敵の服従ではなく絶滅を企図したまれな権力者であり、しかも敗北を自覚した後もドイツの徹底的な壊滅と、最後には自らの死体の完全な抹消を望むという「破滅への意志」を持ち続けた狂気の世界の住人だった。赤軍によってベルリンが制圧される状況を後景として、地下要塞(ようさい)に暮らすヒトラーとその側近の最期の12日間に焦点を当てることで、こうしたヒトラーの本質を示そうとした著者の意図はそれなりに成功している。ただ、自決を前に結婚を選択したヒトラーや、絶望的な状況下でも彼を見捨てなかった側近たちの姿が、ある種の共感を呼び起こすことも否定できない。
本書は、昨年ドイツで公開され、日本でも先頃封切られた映画の原作の一つであり、邦訳の書名は映画の題名からとられている。この映画が製作され、様々な話題を呼んだこと自体、60年の歳月を経て戦後秩序とそれを支えてきたコンセンサスが問い直されている状況を如実に反映していると言えるだろう。そして、戦争認識が東アジアの国際秩序の変容と絡んで問題化し、また日本とドイツが主導した国連改革が孤立しつつある状況では、日本人にとっても本書がはらんでいる問いかけは他人事ではない。