著者はクリントン政権で大統領補佐官と財務長官を歴任した。いつの頃からか、政権での仕事を終えた主要人物が回顧録を書くのがアメリカ政界でのならわしになっているが、正直言って内容は玉石混交である。その中で、本書はドラマ性には欠けるものの、よくまとまった記録であり、経済と政治、国際関係の関(かか)わりを学びたい人には好個の教材ともなろう。
ニューヨークの弁護士の家に生まれ、ハーバード、エールを経て、有力投資銀行の共同経営者になり、現在も巨大金融機関の経営に参画する著者は、間違いなく東部エスタブリッシュメントの一人である。しかし本書は、著者の思索好きの傾向も反映してか、彼の世代の——ベトナム戦争が大学や社会を揺るがす少し前に大学を卒業した——エリートの軌跡や世界観をよく示している。大学で学んだ哲学から、世に確実なものはないと確信し、蓋然(がいぜん)性に基づいて行動する原則を生み出したという点や、大きな金融取引の際には、失敗してもパリで小説を読んで過ごす生活があると心を決めたという記述など、人生をいささか達観しているところがある。
もちろん本書の中核を成すのは、政権での経験である。著者は、グリーンスパン米連邦準備制度理事会(FRB)議長、サマーズ財務副長官(後に著者の後任の財務長官に就任)と共に、アメリカ経済の未曽有の好況を導いた。興味深いことに、著者自身は株式市場の上昇には懐疑的で、金融工学の複雑な理論も現実の前には限界があると感じていたようである。著者の関心はむしろ財政赤字の縮小にあり、クリントン政権がこの課題に真剣に取り組んだことをもって、好景気への最大の貢献としている。
同時に著者は、94年のメキシコ金融危機や、97年のアジア金融危機に始まり、ロシア、ブラジルなどを巻き込んだ世界金融危機に対処することになった。著者は、これらの危機をグローバル化がもたらした21世紀型の国際金融危機だとする。若干の反省点を挙げながらも、アメリカが後押しした、アジア諸国に市場化を迫った国際通貨基金(IMF)の対応策を擁護し、批判への反論を詳細に記している。こうした著者の見解中、日本の金融財政担当者に対して繰り返し示される不満については、日本の関係者には反論もあるだろうし、対照的に中国当局が手放しといえるほど高く評価されているのも気になる点ではある。
その点はさておいて、末尾2章に記述されている、米国経済と国際経済に対する問題提起には迫力がある。アメリカ経済が短期的視点を強め、長期的視点からの投資が疎(おろそ)かになり、再び財政赤字が拡大していることや、緊密に統合された世界経済の現実に制度的枠組みが追いついておらず、とくにアメリカの政治家や世論がアメリカの途上国との深い経済的つながりを理解していないことを警告する。また、先進国が世界の貧困問題に目を向けなければならないという訴えは、良識的見解として日本人も耳を傾けるべきであろう。