不登校、ひきこもりなどが激増している。ほとんどの人が、過保護などのためだとし、怠け、病気、甘え、発達の遅れなどと否定的に見ている。
著者の主張や活動は広く知られているが、長年にわたってそういう見方に真っ向から反論してきた。いまの社会や学校教育が、競争、管理、上下関係、押し付けに満ちており、子供たちの個性、興味、感性を押しつぶしている。それに対するのっぴきならない生命の反応が不登校になっていると解釈する。
著者はかつて、小学校の教員時代に自分の子どもが次々に不登校になってしまった。何とか登校させようとあせるうち、長男が拒食症になり泥沼化。ところが、一度のカウンセリングで拒食症が治り、自分がいかに子供の心に寄り添っていなかったか、愕然(がくぜん)とする。
そして教員をやめた著者は、不登校児などが自由に参集する「東京シューレ」を設立する。それが、いわゆるフリースクールのはしりだ。本書は、その20年に及ぶ苦闘の集大成。子供たち、親たち、行政と格闘し、運動を横に広げ、世界的になっていく様子が生き生きと語られている。また、社会や学校教育や文科省の不登校対策の問題点などにも、多くのページがさかれている。子供たちが全面的に受け入れられると「自らの内に秘められた宝物が生きて動く」様子は感動的だ。
著者は学校のあり方に問題があるので、不登校児を無理やり学校に引き戻そうとする社会がいけないと主張する。そうだとすると、学校環境が急激に劣化したのだろうか。
一般常識からは突飛(とっぴ)に聞こえるだろうが、私は子供たちの変化が大きいと考えており、この現象を「人類の進化」ととらえている。かつて槍(やり)で動物を仕留めていた時代に発達させた、アドレナリン系のホルモン分泌が弱く、闘争が苦手な子供たちが登場してきたのだ。いまの競争社会や画一的な教育システムが絶対なのではなく、いずれ進化していくだろう。
そう考えると、著者の活動はまさに時代を先取りしてきたといえる。来るべき次の社会へのヒントを秘めた一冊だ。