不思議な小説である。念じたことを他人にしゃべらせることができる、という特殊な能力を身につけた兄が語り手である表題作「魔王」、弟の恋人が語り手である「呼吸」、そのどちらにも一貫して、憲法第九条の改正や、ファシズムについての議論がくりかえし出てくるが、あとがきには「それらはテーマではない」と著者自身が明記している。
たしかにこの小説は、そうしたものごとへの問題提起に終始しているわけではない。何かもっと大きなものに向かって開かれているし、憲法改正が是か非かというような単純な小説ではない。警告でもないし、社会批判でもない。作者は、憲法改正や国民投票と真正面に向き合いながら、今、この国に生きていること、それがどういうことであるのかを誠実に切り取ったのだと思う。あくまでも小説というかたちで。
兄が主人公の「魔王」を読んでいるときは、考えないことの恐怖を感じる。「呼吸」では反転し、考えることの恐怖を。しかしどちらも、まったく同じであると気づく。コンピューターや携帯電話の普及で、格段に情報量が増えた今、配信された情報を鵜呑(うの)みにし、出所の知れないそれらを出し入れすることを「考える」と同義にしてしまうことの恐怖。おそらくそれは、ほんの十年前には見あたらなかった恐怖だと思う。
時代は少しずつ変化している。たとえば六〇年代、七〇年代には、人々はその変化に触れることができたのではないか。直接触れ、関(かか)わっていると信じることができたのではないか。しかし今、私たちは、変化に触れることができない。変化はどこかでひそやかに進行し、私たちは気づかずそれに順応していく。この小説に登場する兄も弟も、それに全身で抵抗しているように思える。今という時代、ここという場所は、だれでもない私たち自身のものではないか、気づかぬうちに順応させられてたまるか、と。
得体(えたい)の知れない不気味さを味わわせつつ、しかし小説は、抜けるような澄んだ空をも垣間見させる。私たちが直接触れられる真の光景として。