私は、死後にも永続する霊魂や(転生という意味での)輪廻(りんね)をまったく認めない仏教者である。しかし仏教が何を説いたところで、世の大勢は霊に肯定的だ。霊という観念は実に有り触れている。例えば、昨今、世上を騒がしている「靖国問題」をみても、霊の存在(感)が前提になっている。
ところが、霊という観念、あるいは霊という思想が学術の対象になることは滅多(めった)にない。本来、それを「包括的に扱う資格と能力をもっている(はずの)宗教学においてすら」「そのようなテーマ設定は周辺的だった」のだ。
霊を主題にするというだけで、訝(いぶか)しがられ、際物扱いされる。これを近代的学知の限界と片付けるのはいと容易(やす)い。
だが、そうした理解が見落としているのは、霊という思想がまさしく近代的学識において再発見されたという歴史だ。
本書はその近代の霊の思想、スピリチュアリズムの実像を深く探る。
近代スピリチュアリズムは、霊の存在と、霊との通信が可能だとの信念を前提にした研究・実践・信仰の体系である。一九世紀後半の欧米で興隆し、各地で霊を呼び出す「交霊会」が開かれた。その背景について、本書では、近代知の浸透がキリスト教の信憑(しんぴょう)性をぐらつかせ、その揺動から霊への志向が芽生えたという概観が示されている。
興味深いのは、マックス・ミュラーによって創始された比較宗教学もまた、キリスト教の動揺に突き動かされた結果であるという指摘だ。スピリチュアリズムと客観的宗教学——この一見懸け離れた二者が出発点を同じくしている。
さらに近代スピリチュアリズムの知的水準の高さにも注目できる。研究者のひとりの名前をとって名付けられた「マイヤーズ問題」と呼ばれる領域は、その頂点といえるかもしれない。
そこでは、心霊現象を死後生存の証明とみるか(「霊魂」仮説)、それとも生者の潜在能力の所産とみるか(「超ESP」仮説)が、考究された。これは、現今の臨死体験の解釈論争と同型である。「問題」は繰り返し回帰しているのだ。