この十年の不況を、誰がどのような理由から起こしてしまったのかは、近年の経済行政で最大の話題である。にもかかわらずそれを論じるのは難しい。「犯人」以前に「原因」が、厳密には特定されていないからだ。つい先頃まで、「構造改革派」は不良債権処理の遅れと様々な規制・慣行を原因とし、「インフレ目標派」はデフレが原因だとみなしてきた。当然、それぞれの見立てる犯人は異なり、激烈な論争が生じた。
著者は論点を少しずらして、80年代のバブルと90年代の金融危機に焦点を絞り、前者を日銀の低金利政策、後者を旧大蔵省の信用秩序維持政策の失敗(破綻(はたん)金融機関の処理や公的資金の投入にかかわる仕組み作りの先延ばし)という衆目の一致する原因からとらえて、日銀と大蔵省がなぜそうした行動をとったのかを、膨大な新聞・雑誌資料および近年の政治理論をもとに分析している。記憶に新しい個別の出来事が一貫した理屈で物語られる様は、壮観だ。
既存の説明を物足りなくしてきたのは日本型経済システムそのものが「悪」であるかのように論じるからで、それだと80年代までなぜうまくいったのか理解できない。その点、本書は「成功」が後の「失敗」の原因となったというスタンスで、納得がいく。日銀は狂乱物価で批判を受けインフレ抑制に専心し、80年代前半まで成功した経験が裏目に出て、資産価格の高騰を見落としたし、大蔵省も福祉税構想など本務である財政部門の堅持には強気であったのに、金融部門の分離という制裁が迫ると天下り先喪失を恐れて信用秩序維持で責任逃れをしてしまったという。官庁の行動は「組織存続」の論理を優先するという見立てである。
ただし本書が説得的であるのは、バブルと金融危機に話題を絞っているからともいえそうだ。これが十年不況の全般となると、学界を二分する論争に決着がついていないことを見ても、とるべき方針は自明でない。官庁の組織利益と公共利益とが合致するような制度設計をという提言はもっともだが、制度が万能でないがゆえに政治の意味があるのだと思う。