四半世紀前、評者は大阪でサツ回りや街ダネを拾う社会部記者。成人後に初めて関西文化圏に接した身に、いわゆる関西らしさを感じさせた場所はミナミやキタの盛り場、それに大阪環状線や私鉄沿線に連なる幾つかの下町商店街だった。
とりわけ五感で「大阪らしさ」を体感したのが環状線と近鉄線の交差駅の周辺に広がる鶴橋商店街だった。
高架のホームに降り立った瞬間、鼻腔(びこう)を香ばしい焼き肉の煙が刺激する。気のせいなのかキムチの匂(にお)いも感じられた。おそらく評者の人並みの嗅覚(きゅうかく)が、鶴橋周辺は大阪きっての在日コリアンの居住地だという頭から入った知識によって、異様に敏感になっていたからだろう。
だが鶴橋と聞けば「焼肉やキムチの店が集まる商店街」という条件反射は、きわめて表層的だったことが本書を読むとよくわかる。「韓国・朝鮮料理の店が増えだしてきたのは、この30年ほどの傾向にすぎない」のであり、マスコミの方が「焼肉の街・鶴橋」のイメージを作り出してきたのかもしれない。
鶴橋は食品や繊維の問屋街から出発し、現在は六つの商店組合に約660店舗の多種多様な業種が集積する。エスニックな味わいは一部でしかないのだ。
著者は、その「ごった煮商店街」の一角に仕事場を構えて10余年というフリーライター。戦後の空気を色濃く残す「わが街」の魅力にいつしかとりつかれ、資料をあさり、丹念に古老を訪ね歩き、戦後60年の歩みを掘り起こした。
闇市から出発した商店街は全国にも少なくないが、鶴橋が特異なのは再開発の波をかぶらずに戦後間もなくの建物や区画が残り、ありきたりの高層化を免れて「平面の商店街」であることだ。
したがって道路は迷路のようで、阪神大震災後は防災面の脆弱(ぜいじゃく)性が意識されている。またシャッターを閉めた店舗も目立ってきた。
「手つかずの昭和20年代」のような商店街がいつまで残存できるか。そうした思いが著者を鶴橋の戦後史を記録する作業にかりたてたようだ。足で書いた、生き生きとした「街の社会学」だ。