日本が援助大国になってかなりになるが、日本人の援助観は分裂したままである。一方には日本の援助は立派に役に立っており、感謝されているという擁護があり、他方には日本の援助は腐敗や環境破壊をもたらしているという批判がある。しかし両者とも、援助を「困っている人を助ける」と見る、いわば慈善的援助観とでも言うべき素朴さを共有しているのでは、と思う。相手からの感謝といった「気持ち」の問題がしばしば語られるのも、日本人のこういった素朴な援助観の表れではなかろうか。
そもそもなぜ先進国は途上国に援助をするのか、また援助をするべきなのか。改めて問うと答えは簡単ではない。国際援助については、専門家の間でもめまぐるしく議論が移り変わってきたというのが実情なのである。最近では貧困削減や環境保全、民主化といった理由づけがなされることが多いが、これまでと同様に一時の流行に過ぎないかも知れない。
開発援助の専門家が書いた本書には、過去の援助理論の変遷といった堅い内容も触れられている。しかし難しい理屈はとばして、著者が挙げる具体例を読むだけでも、効果のある援助を行うことは簡単ではないことがよく分かる。
たとえばある社会の結核感染率を下げるには、感染者の自覚症状がなくなった後も一定期間薬をのみ続けることが重要だが、薬があってものまなくなることがある。かといってのみ続けることに安易に報酬を与えたりすると、目先の効果はあっても、人々が報酬をあてにするようになって新たな問題を生み出す。
もちろん著者の立場は援助無用論では決してない。著者が言わんとするのは、援助する側が自らのパワーを自覚し、援助する側と受け取る側の価値観の相違を認識することの重要性である。善意だけでは不十分どころか、思慮の足りない善意はマイナスですらある。
援助のような行為においてこそ、「気持ち」だけでなく冷徹な計算が必要である。援助について日本人がこうした成熟した考えを持てれば、援助だけでなく外交全般がより力強さを、もつだろう。