人間はサルから進化してきたらしいが、周囲にはどう見ても進化し損なったとしか思えない輩(やから)がうようよいる。しかし本書を読むと、このコメントがはなはだサルに失礼なことがよくわかる。
『政治をするサル』『サルとすし職人』などで、チンパンジーの権力闘争におけるドラマチックな陰謀、取引、同盟、詐欺の様子を克明に書いてきた著者が、一転してサルの視点から人間社会を語ったのが本書。
たとえば、フサオマキザルにとって、キュウリは好物だが、隣のサルにブドウが与えられると、不公平に怒ってキュウリを食べなくなる。逆に、自分だけ御馳走(ごちそう)をもらったボノボが、友人たちに分け与えることも観察されている。著者は自分だけ優遇されると、他者の恨みを買うことを予測しているとし、そこから感情に根を下ろした道徳性のようなものが発現すると説く。我々が人間的と思っているほとんどの特性はサルにもある。
自分とまったく身体の構造が違う、傷ついたムクドリをいたわり、その羽をひろげて飛ばせようとするなど、高度な共感を示す面と共に、生きているサルの頭蓋骨(ずがいこつ)を割って脳ミソを食べるなど、残酷な面も語られている。
全般的には、チンパンジー社会とボノボ社会の対比に多くのページがさかれている。前者はオスが支配し、闘争が多く不安定で残酷であり、後者はメスが支配し、融和的で好色で、あらゆることをセックスで解決する。とくにメスどうしが激しく性皮をこすり合わせる、GGラビングという行為は群れの平和に不可欠だ。
ひるがえって、人間社会はセックスを寝室に隠蔽(いんぺい)し、夫婦制度によりほとんどのオスに生殖の機会が与えられた。そのため、多くのオスが協力するようになり、大規模な狩りや工事がおこなわれ、人間社会固有の文化が生まれたと説く。
ただし、誰の頭の中にも権力志向で暴力的なチンパンジー的要素と、好色で平和を愛するボノボ的要素が同居している。その両者の矛盾を飼いならしたのが人間だ。サルの視点は、びっくりするほど人間の本質を鋭くえぐってくれる。