9・11同時多発テロからイラク戦争に至るアメリカの外交について、多くのアメリカ論が出版されてきた。それらはアメリカの「外なる世界」に対する認識を分析するものだが、「内なる世界」である自国をどうとらえるのかを論じる書物も目立っている。
一方の極はハンチントンで、民族や文明が相いれず対立すると見る。著書『文明の衝突』は世界が文明ごとに分裂するとし、『分断されるアメリカ』ではアメリカ国内での民族的不統一に懸念を示した。
これに対しウォルツァーは、この小著で、アメリカの本質を「文化的な多様性と宗教的な寛容」に見いだす。アメリカはたんに州が集まった「連合国家」なのではなく、様々な民族や人種、宗教信者が共存してきた点に特徴があるとする。アメリカ国家の特徴はいずれかの民族性や宗教にはかかわらぬ中立性にあり、それぞれの集団が差異を保ちつつ共存しうるよう調整する、というわけだ。
言語すら共有できない多民族化が進むときに共存は不可能というのがハンチントンの悲観論だが、ウォルツァーは異なる民族や宗教が「仲良く喧嘩(けんか)する」のをアメリカの伝統とみなし、そうした調停意欲の低下にこそ問題があるとする。調停には「市民的礼節」が必要としており、共感を覚えた。
政治の焦点を国家に置く保守主義とも個人に当てるリベラリズムとも異なって、中間集団を強調するコミュニタリアニズムがウォルツァーの立場とされているが、本書では、アメリカの右傾化は、9・11の恐怖体験から福音主義プロテスタントとカトリック原理主義者が共和党に雪崩を打って入党したせいで起きたと診断している。そこには、現在のアメリカは宗教と政治の分離および国家の中立という本来の姿を見失っている、という理解が込められている。
ヨーロッパは移民の国アメリカとは異なり「土地に根ざした」地域の連合体だとしているが、とすれば、日本が改革で地方分権を目指すなら、ヨーロッパ型の地域連合ということになるのだろうか。モデルを見誤らないようにしたいものだ。