若者を憎悪している。世の風潮を眺めていると、どうもそうとしか思えない、まったく理不尽な議論が罷(まか)り通っている。
例えば、統計的な確証もなしに、少年犯罪の増加や凶悪化が社会問題化される。
また、ゲームやインターネット、携帯電話など、若者が接触しがちなサブカルチャーやメディアが槍玉(やりだま)に挙げられる。
最近は「ゲーム脳」だの「脳内汚染」だのと、まことしやかな、おどろおどろしいコピーによって社会への浸透圧が高まっているから、実に質(たち)が悪い。
ニートという言葉も、瞬く間に人口に膾炙(かいしゃ)したが、単なるキャッチ・コピーかもしれない。本書はそんな健全な懐疑へと読者を導き、さらに進んで、正しい社会認識とは何かを熟考させる。
ニートとは、一般に働かず、学ばず、職を求めてもいない若者を指す。しかし、各方面に影響を及ぼしているわりに、定義が明確ではない。一説によれば約八五万人にも達するというが、本田由紀の論考によると、これは風説に等しい。何故(なぜ)なら、八五万人のうち、本当に働く気のない若者は半数に過ぎないからだ。近年増加しているのは労働意欲があるタイプである。しかも、増加傾向にあるといっても、若年失業者やフリーターの激増に比べれば、問題にならないレヴェルに留(とど)まる。
結局「ニートの増大」とは若年雇用の低迷によって派生した現象に過ぎず、限りなく幻影に近いものではないか。だとすれば、ニートになった原因を、若い世代の職業意識や家庭環境に帰すことは、まったくの的外れである。
ところがその的外れが常識と化してしまうのが、マスメディア主導で醸成される世間の趨勢(すうせい)、いわば「メディア世間」である。内藤朝雄は「メディア世間」の排除の構造を剔抉(てっけつ)している。
痛快なのは、後藤和智による綿密な「若者論」精査だ。論者名指しの手厳しい批判が列記されているが、「メディア世間」の一方向化を破る意味でも貴重。後藤は、第一線研究者である本田や内藤とは異なり、無名の大学生だ。しかし、その批判的知性には舌を巻く。評者もどこかで若者を軽んじていたようだ。