著者は文化人類学者として、主に西アフリカの部族「モシ王国」を、長年にわたって研究してきた。文字を持たない社会の豊かさや、そこに生きる人々の地声の美しさ、王の系譜を語る太鼓言葉を、わたしもまた、著者の本を通じて、初めて知ったひとりだ。本書はその著者が、自己の源へと遡(さかのぼ)った記録。特異で魅力的な「自分史」である。
隅田川の向こう、深川・高橋(たかばし)の代々続く商家(米屋)に生まれた著者。青年の頃は、この出自が卑小に思われてならず、それは自己及び父への嫌悪・反感を呼んで、やがて遠くフランスへ留学。ヨーロッパやアフリカの世界へと脱出した。けれど、両親も死んだ後になって、「吸い寄せられるように、自分と自分を生んだ地域」に「向かい合ってみたくなった」。
幼少時、あるいは未生(みしょう)以前の記憶を、恐る恐る静かに探り行く文章は、揺(ゆ)り籠(かご)を揺するように繊細だが、一方で、長年のフィールドワークで培われた感覚は、故郷(ふるさと)・深川をも、自己のなかの「異境」として、厳しくタフに対象化する。あるいはまだ、深層に残る嫌悪の跡が、懐かしい生地へと容易に傾く情緒を、ばねのように鍛えているのだろうか。
音と匂(にお)いの記述が、生々しく官能的だ。「あたしなんざ」「そうすっとね」「まっつぐいくてえと」「やっぱし」……。聞き書きによって現在によみがえる、下町の人々の話し言葉。あるいはまた、三つ上の姉が母に温習(さら)ってもらっていた長唄「賤機帯(しずはたおび)」の、声と三味線の音色の記憶。著者は自分の記憶の底ぶたをとり、そこから、この土地に生きた人々の、束になった声を立ち上らせ、文化の深層を掘り起こそうと試みる。
しかし私がもっとも心打たれたのは、最後の一章「父の手紙」だ。留学中に届いた、乱れた文字の父の手紙。「反抗する子への理解なき信頼と献身を黙々と貫いた父」を、著者は一人の男として、今ようやく理解する。「母」を題名に持つ本書が、母の懐に包まれて終わるのでなく、反抗を貫いた父へと帰結するところが、清々(すがすが)しくあたたかく、そして哀(かな)しい。地霊の気が漂う、一冊である。