著者はその世界では有名人といっていい。神戸家裁に在職中に、須磨区で起きた児童連続殺傷事件の加害男性「少年A」の審判を担当し、「なぜ起きたのかを世に知らせるべきだ」と、決定の要旨を初めて公表した。以来、被害者と加害少年との関係などを調整してより良い決着を目指す、いわゆる「修復的司法」にも取り組み、メディアなどで少年法や少年審判について、積極的な発言を続けてきた。退官後も喉頭(こうとう)などのがんと闘いつつ、少年たちの立ち直りに奔走する型破りな元裁判官である。
裁判所には「子どもの事件は子どもにやらせる」という言葉があるそうだ。少年事件は経験の浅い判事補に、という意味だが、出世コースとほど遠い道を歩いた著者は晩年、思いがけずそれを担当させられる。しかし、「少年A」の事件を契機にのめり込み、転勤も拒んで退官までの八年弱に、延べ五千人を超える少年の審判を担当した。さまざまな相貌(そうぼう)を持つそれぞれの犯罪や非行と、その処理をめぐる思い出を、エッセー風に綴(つづ)ったのが本書だ。
「静かなところで一人で死にたい」。生気なくそう語っていた少年Aに「医療少年院送致」の決定を言い渡したあと、毎年面会した。一年後は面会を拒まれた。次の年には一時間だけ会えたが、視線を合わそうとせず「無人島で暮らしたい」とボソボソ。ところが、「収容継続」を決めた審判をはさんで、Aは徐々に生きるエネルギーを取り戻していく。わだかまっていた母親とも感情の交流が始まる。著者が見守り続けた七年余の間に起きたAの変化は、「モンスターは葬れ、殺してしまえ」の憎悪に満ちた社会的空気のなかで彼と格闘した、医師や教官たちの努力を物語って生々しい。
評者は、少年Aとの関(かか)わりとは別に、もろもろの少年犯罪をめぐるエピソードや事件の決着のさせ方に、著者の社会や人間理解の深さを感じた。被害者や地域とどう折り合わせるか、家族との関係をどう修復させるか、心や金銭の償いは、といった、事件ごとにこらす工夫の数々は、親身にあふれている。時間をかけて、少年や被害者が納得できる審判を心がけようとする努力を重ねたからだろう。少年院では「井垣裁判官から送られてきた子の意欲は目を見張るものがある」との定評があったともいう。
とかく「目立つ」ことを嫌う日本の裁判所ではしかし、著者のように「法廷の外=社会」を常に意識し、より良い解決を求めて肉声でぶつかっていく裁判官は、あまり好まれないし、偉くはなれない。裏返せば、人間理解の浅い「子ども」に委ねられる審判のかなりの部分が実は、少年の真の更生や社会の納得とは程遠い、おざなりな処理に終わっているのではないか、と肌寒さを覚えないわけにはいかない。
「少年法が甘いから、今のうちとばかり非行に走る」という俗論が、この国に根強くはびこっている。それが少年法の厳罰化にも追い風を吹かせてきた。少年審判の実情をあまりご存じない人にぜひ読んでほしい本である。