本書は19世紀末にドイツに生まれ、ナチスを逃れてアメリカに移ったユダヤ人思想史家の40年近く前の論文集の翻訳である。著者の弟子の選定による論文集『古典的政治的合理主義の再生』の翻訳が10年前に公刊されたが、その時から予定されていた訳書である。
「訳者あとがき」にもあるように、本書の公刊まで時間がかかったのはその高度に専門的な内容ゆえである。ギリシャ哲学や中世思想の詳細な検討を含む本書の訳業に多大の精力を要したことは容易に想像できる。しかしその間、この思想史家を巡る世の関心は大きく変わった。かつて政治思想史の専門家以外にはほとんど知られなかった著者の名は、今やネオコンの教祖という評判と共に広く認知されるようになったのである。
死後30年余りを経たこうした展開に最も驚いているのは著者自身ではなかろうか。確かに彼は、近代合理主義の内包する限界を指摘し、古代及び中世の古典研究の必要性を訴えた点で異端の研究者であり、「保守主義者」に分類しても間違いとは言い切れない。また、彼の近代合理主義批判の一端には、ヒトラーの台頭を抑制できなかったワイマール時代の経験に恐らく由来する価値相対主義への批判と、ソ連共産主義への道徳的対抗の必要性の認識があり、そこに知的戦闘性の要素を見ることも不可能ではないだろう。しかしネオコンの主張が自由民主主義の世界的拡張にあるとするなら、安易な自由民主主義の称揚こそ厳に戒めたという点で、ネオコンの最も厳しい批判を著者の論考から導き出すことも可能である。
ネオコンとの関連といった俗な関心を超越し、思想史に取り組むことで主張をなした思想家として著者は読まれるべきであろう。率直に言って、本書は政治思想史の門外漢が気楽に読める著作ではなく、先述の前訳書を入門として先に読むことを勧める。知的格闘を余儀なくされること間違いなしだが、著者の問題意識さえ了解すれば、古代、中世の難解なテクストを鮮やかに読み解いてくれる最良の教師としての側面が見えてくるだろう。