最近、事件取材がむずかしくなったと聞く。現場で聞き込みをしていても、個人情報保護を理由に協力を拒まれることが増えたというのだ。その一方で、ネット上に当事者の写真や日記がさらされる。
なんか変だ。それでも現場を歩けば何かがつかめると信じたい。桶川ストーカー殺人事件のように、一人の記者の執念が事件解明の突破口を開くこともあるのだから。
本書を手にしたのも、当時28歳の男が9歳の少女を9年2カ月にわたり監禁した部屋に、初めて足を踏み入れた貴重な報告であるためだ。同じ家に住む男の母親がなぜ少女の存在に気づかなかったのかという点にも、一定の事実を読者に提示している。
暴力に耐え、息子のため競馬雑誌を買う「従順な下僕」のような母親の姿がある。歳の離れた亡き父親もまた、軌道をずれていく息子を叱(しか)ることのできない人だった。当初報道されたような、少女わいせつの前科をもつ「引きこもり」男の異常犯罪というイメージからこぼれ落ちた、男とその家族の姿が見えてくる。
そして読者はついに、20年以上、母親が上ることはおろか見上げることも許されなかった14段の階段を上り、「王国」の全貌(ぜんぼう)を知る。そこで発見した男の「宝物」と父親の遺品から父子関係と事件との因果を探る仮説はやや強引だが、案外核心を突いている点もあるかもしれない。
しかし、事件の闇は依然深い。少女が発見された日、保健師に促されて2階に上った母親に少女はこう話しかけたという。「お母さんですか?毎日ご飯を作っていただいて、どうもありがとう」
本書はまだ、この言葉の本意には到(いた)り着いていない。
著者は三たびの現場に立つだろうか。一度目は写真週刊誌記者、二度目はフリーライターとして現場に立った著者は、取材者としての逡巡(しゅんじゅん)を時折吐露している。母親に説教するように質問を重ねる不遜(ふそん)さに気づき、言葉を呑(の)み込む場面もある。本筋とは無関係だが、人の人生を奪うという不条理に心底憤り、迷い、行動できるのは、今の時代、もはや希有(けう)な才能と思える。
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くぼた・まさき 74年生まれ。ノンフィクションライター。雑誌編集にも携わる。