世界の軍事紛争の中で少数民族は、時には大国の特殊部隊に編成され、逆に国内の多数派の民族から抑圧されることがある。ベトナム戦争でアメリカが、現地の少数民族を軍事的に利用して、悲劇をもたらしたことは知られているが、日本でも60年前にはそれと似た歴史があった。
本書は、サハリン島(樺太)を日ソで半分ずつ領有していた戦前期に、日本領の南樺太における反革命派の少数民族リーダーだった、ヤクート人ヴィノクーロフの伝記である。彼は、日本が北サハリンを一時的に占領したシベリア出兵期に日本軍と結びつき、その地の少数民族を支配する大商人となり、多くのトナカイを手に入れた。やがて日本軍とともに南樺太に撤退した彼は、北シベリアの故郷であるヤクーチアの独立に向けて、日本の対ソ干渉戦争に期待をかける。だが彼の活動は、専らサハリンの国境線をめぐる日ソ間の軍事対決に利用されたのである。
日本の樺太庁は、国境線に近い地にウィルタ、ニブフなどの少数民族を集住させた「オタスの杜(もり)」を建設し、そこで同化政策を推進しつつ多くの観光客を呼び込んでいた。今ではすっかり忘れ去られているヴィノクーロフの名は、「オタスの杜」を代表する著名人として知られ、彼は北方少数民族唯一の政治家でもあった。1930年代前半に彼は3回にわたって東京を訪問し、荒木貞夫らの陸軍軍人などに面会し、対ソ戦開始の陳情をくり返している。本書では面会した日本の高官たちが、彼の主張におざなりな賛辞を呈しながら、少数民族への好奇のまなざしを向けていたに過ぎず、その訴えを冷淡にあしらっていたことを、さりげなく叙述している。
本書は素人っぽい描き方ながら、発掘した史料や証言を集めて、ヴィノクーロフの夢と挫折、そのあくどさや粗暴さ、そして大国の軍事策動の手先として利用された結果の惨めさを描写している。と同時にここでは、ヴィノクーロフの支配下にあった少数民族の家族たちの、底抜けの貧しさが点描されており、そのことが心に残った。
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小山内道子訳/N.Vishnevskij 59年生まれ。クリーリスク地区副地区長。