心に残る山岳ノンフィクション、佐瀬稔の『長谷川恒男虚空の登攀(とうはん)者』にこんな一節があった。K2は人生の分岐点になる山。K2を登っていたら人生が変わっていたはずの登山家は何人もいる——と。日本人として初めてK2に登頂した日本山岳協会隊のひとり、広島三朗の言葉だ。
アルプス三大北壁冬期単独登攀を成し遂げた長谷川はじめ、孤高の登山家たちの人生を変えたかもしれない山がなぜ世界第二峰のK2なのか。
その理由は本書を読み進めて少し想像できた。のどかな田園地帯から登るエベレストと違い、パキスタンと中国の国境にあるK2へは灼熱(しゃくねつ)の砂漠を小型四輪駆動車で走り、氷河を踏み越え1週間、さらに45〜65度の急傾斜を登らねばならない。犠牲者の割合はエベレストの3倍となれば死の淵(ふち)に近づくことと同義。独立不羈(ふき)の登山家なら挑まずにおれない目標だろう。
「非情の山」の称号までもつK2を語るのに、本書は実に魅力的な主人公を得た。1986年に女性初登頂を遂げたポーランドのワンダ・ルトキェヴィッチら5人の女性登頂者である。5人全員が下山中のK2か、他の8000メートル峰で遭難死したという不思議な因縁を知った著者は、女たちの家族や友人を訪ね、自らもK2に2度挑み、生々しい体験を5人の心情に重ねた。
父親を殺されるという悲しみを背負った者、男を翻弄(ほんろう)しながら登山を楽しむ者、子連れ登山を批判された者もいる。女性のK2登頂者という以外に共通点はない五つの生が緩やかにつながりつつ、登頂の喜びから死に向けて急降下する。女が山に登ることの困難を抱えながら、あえて息苦しいほど過酷な道を選びとった5人の凜々(りり)しい横顔が最後にくっきり浮かび上がる。
ただ私がもっとも心動かされたのは、国民的英雄となったワンダが、晩年、8000メートル峰14座全山登頂の記録を焦るあまり、カンチェンジュンガの雪穴で引き返せなくなる場面だ。「下りろ」といえなかった若きパートナーの慟哭(どうこく)が胸にささる。残された者の心に開いた穴は深く、どこまでも底が見えない。
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Jennifer Jordan 58年生まれ。米国のジャーナリスト、作家。