読みながら、幾度も本の表紙に巻かれた帯を確認した。これは小説だ、と帯にはある。
昔の曲を集めたCD集のCMで、作者は学生運動が盛んだった時代の映像を見る。ヘルメットをかぶって微笑(ほほえ)む女性に惹(ひ)かれ、彼女をさがしはじめる。匿名の脅しを受けながらも、つてをたどって彼女を追っていくうち、現在の彼女の消息がじょじょに明らかになっていく。その筋立てとは別に、学生運動が終わったあとに大学生になった作者の、高校時代、大学時代の回想がある。学校全体を覆っていた無気力と管理を、そして自分が間に合うことなく終焉(しゅうえん)を迎えた学生運動というものを、作者は正面から凝視するように書いていく。
60年代から70年代にかけて起きた学生運動、その正体がなんであったのか、理屈でも理論でもなく私もまた知らない。しかしその時代、国家が、政治が、世界が、ある学生たちにとっては「触れることのできる」何かだったのではないかと考える。現在の日本の若者の、国や政治や世界情勢に対する無関心は世界的に見てもめずらしい。この無関心は、それらが決して「触れられない」ものだという諦観(ていかん)からはじまっているように思えてならない。たとえ錯覚だとしてもそれらに触れることができると信じられた時代を、知りたいと切望したことが私もある。余分な情報はいらない、いちばん純粋な部分を知りたいと。本書の作者とまったく同じように。
作者が追い求めているのは、次第に、ヘルメットの彼女ではなく、今の時代に自分がいるということの、体感としてのリアルさであるように思えてくる。読み進むうちこれがフィクションでもそうでなくてもどうでもよくなってくる。重要なのはそんなことではないと気づかされるのである。作者は彼女から視線を外し、違う方法で時代に触れようとする。それはリアルへの渇望である。時代との接点への、強烈な希求である。それほどまでに、今の時代は私たちから遠い。本当に触れることはできないのか、世界と無縁でいるしかないのか。この小説はそう叫んでいる。
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こうかみ・しょうじ 58年生まれ。劇作家、演出家。本作が初めての小説。