この本の著者・小川洋子は、「小さなことですぐに落ち込む」という。そういうときどうするか。彼女は「罵(ののし)られ箱」の蓋(ふた)をそっと開ける。「かつて自分に浴びせられた数々の罵りの言葉をしまってある箱」。そこから一つ一つを取り出して心静かに対面し、また箱に戻す。そうしているうちには「落ち込んでいた気持が不思議と安らかになってくる」と。
数、犬、野球、アンネ・フランクなど、愛読者にはおなじみのテーマが出てくる。小説と重ねて読む楽しみがあるだろう。著者の小説を知らない人には、この作家がどのように現実を眺め、そこからどのように物語を紡ぎ出すのかが、とてもクリアに見えてくるはずだ。そしてこの本の真の魅力は、むしろ後者の方に傾く。
「罵られ箱」のような見えない箱をこの世に在らしめる「物語の力」によって、作家は世界を魅力的に組み替えるが、それは現実を捻(ね)じ曲げることでない。そうすることが、より柔らかに強く生きるための方法なのだ。物語が物語として形を成す手前の、「芽生え」みたいなものが詰まっている。一人で読むのはもったいない、でも一人だけでそっと読みたい。これはそんな、エッセイ集である。