不思議な「原爆小説」である。原爆の悲惨さが直接描かれているわけではない。著者の視線は、むしろ原爆以後の六十年、「平和」という静かに狂った戦場に向けられる。ところが読んでいると文字の裏側に、明るいピンク色をした原子雲のイメージが、絶えずちかちかと明滅する。まるで映画のサブリミナル効果みたいに。読者の潜在意識に働きかけるようなものが、文章のなかにうごめいているようなのだ。田口ランディはこの本のなかで、一体何をしたのだろうか。
四つの短編が収められている。いずれの主人公も、焦点のぼやけた「平和」のなかで、戦争のリアル、生のリアルに触ろうとしてもがいている人々だ。
「イワガミ」には、著者自身を思わせる作家「私」が登場する。その彼女もまた、「平和ってなんだろう、それがわからない」とつぶやきながら、被爆者から原爆の悲惨さを聞き取るばかりの取材に、限界と欺瞞(ぎまん)を感じている。
ところが、資料を返しにいった先で、「磐神(いわがみ)」という奇妙な古書に出会う。そこには世界の始まりから広島が焦土と化し、再びその土地に草木が芽生えるまでが、全身全霊をこめて語られていた。
「私」はこの本に強く感応し、著者・宮野初子が被爆者であることを直感する。それは宮野が「自分と切れてしまった自然に、強い意志を持って触れようと」していることがわかったからだ。原爆投下前の広島には豊かな自然があった。七本の光る川、風、空気、匂(にお)い……。
ここまで読んだとき虚を突かれた。原爆は常にその「瞬間」と「以後」の時間のなかで語られてきた。けれど広島には「それ以前」があった。それ以前のもっと以前には世界の始まりがあった。原爆が、そうした大きな神話的流れのなかに位置づけられたことで、「私」にもそして読者にも、初めて原爆がリアルに見えてきたのである。連綿と続くその流れに、わたしもまた組み込まれている者だ。自分の小さな細胞のひとつが、あの原爆を記憶している。読後、そんな思いに捕らわれた。
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たぐち・らんでぃ 作家。『コンセント』で小説デビュー。『転生』『富士山』など。