冒頭、沖縄戦の犠牲者を悼む「さとうきび畑」の歌に関する衝撃的な事実を知らされる。昭和42年に発表されてから20年以上もの間、作詞作曲した寺島尚彦のもとに沖縄からの反響は一通も届かず、沖縄戦を生き抜いた人々の中には、誤解を与えかねない歌だという批判もあるというのだ。
戦時下の沖縄で殉職したヤマトンチュウ(本土人)を主人公に数々のルポを発表してきた著者は今回、サトウキビの品種改良に勤(いそ)しんだ兵庫出身の農事試験場長・北村秀一の生涯を中心に、サトウキビ(キビ)と沖縄戦の関(かか)わりを描いた。
「命の糧」であるキビに光が当てられたことで、地上戦の残酷さはいっそう生々しく際立つ。人々の飢えを癒やし、束(つか)の間の休息の場となったキビ畑。だが米軍は畑を次々と焼き払い、沖縄戦末期には「ざわわ」と揺れるキビなどなかった。火だるまで死んだ祖母の無念を語る者。家族が一人ずつ欠けていった、悲劇の「南部落ち」と呼ばれる逃避行の実態も明らかになる。
本土の沖縄搾取の歴史は薩摩の琉球支配に始まり、キビ生産農民から奪った黒糖は明治維新の資金源だったという。「ざわわ」と歌う前に知るべき人生がここにある。