地中海世界を知り尽くした歴史家による知的刺激に満ちたエッセイだ。古代から高度な文明を生み、宗教、思想哲学、科学、芸術等、人間の英知のもとを築いた地中海世界。加えて、自然の生態も、民族も文化も実に多様な地域。
その豊饒(ほうじょう)さを描くための仕掛けが見事だ。地中海世界の本質を見極めるツボとして、六つの主題と12人の「人」が登場する。古代ギリシアから18世紀イタリアまで、時空を超え、地中海で活躍した人物の肖像を、舞台となった町のトポスとともに描く。
本書には歴史家・樺山紘一らしさが随所に現れている。西洋中世史が専門だが、イスラム世界にも強く、中東、マグレブ、アンダルシアの町々も実に適切に登場する。また、文献史学の学者でありつつ、美術や建築・都市が大好きで、地中海の豊かさを視覚的なイメージとしても描くのだ。
主題の幾つかを紹介しよう。まず歴史。歴史家という存在も地中海が育んだ。ギリシアのヘロドトスと並び、マグレブのイブン・ハルドゥーンが登場する。各地を遍歴しながら、土地の生態を観察し、複眼的な視点でことの本質を捉(とら)える先進性を、時間を超えた2人の歴史家に見出(みいだ)すのだ。
次は科学。ヘレニズム世界の科学の中心地、アレクサンドリアが舞台。シチリア人、アルキメデスがこの地で数学を研究し、機械学の才能を飛躍させたという。地中海各地で行き来が多く、知的な交流も活発だったのがわかる。
そして真理。コルドバのイスラムとユダヤを代表する2人の知性に光を当て、アリストテレスをいかに理解したか、また地中海が生んだこの理性と信仰を巡る議論が後の世界に与えた影響を論ずる。
最後に景観。戦後映画の名作「旅情」と「ローマの休日」を、18世紀にカナレットとピラネージがそれぞれ描いたベネチアとローマの景観図と重ね、両都市の個性を論ずる着想は卓抜だ。景観という価値を見つけ創造し、人々を魅了したのが二つの都だという。
遠い過去を語りつつ、今に生きる我々に貴重なメッセージを地中海から発信している点も、本書の大きな魅力だ。
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かばやま・こういち 41年生まれ。東京大名誉教授。著書に『カタロニアへの眼』など。