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[掲載]2006年07月16日[評者]最相葉月(ノンフィクションライター)
終戦後、復員して間もない著者は、文壇の改革を目指して創刊された文芸誌「群像」に採用される。丹羽文雄曰(いわ)く「生(うま)れた時に母親のはらの中にお世辞を言うことを忘れて来たような」態度のでかい若者だったが、丹羽や伊藤整、高見順、中野重治らとの交流を通じて文壇の何たるかを学び、鬼編集長と呼ばれるまでになる。本書はその20年間の回想記。若き編集者の教養小説(ビルドゥングスロマン)としても読める。
作家がいかに戦争責任論やマルクス主義と対峙(たいじ)したか、戦犯出版社と批判された講談社で「群像」が果たした役割は何か、といった文学史も意外な事実に満ち興味深いが、私がより引かれたのは作家の体臭だ。吉川英治より活字が小さいのが嫌で連載をやめた伊藤整。両横綱、丹羽と舟橋聖一の関係。高見が「最後の文士」と呼ばれた理由。他の作家の悪口ばかり言う作家を白洲次郎が「紳士らしくない」と諫(いさ)めたとか、「難解ホークス」埴谷雄高は話せばわかりやすい人、といった逸話も。彼らの顔貌(がんぼう)が俄然(がぜん)気になり、秋山庄太郎の写真集『男の年輪』を繰る。「丹羽より下じゃだめだよ」と原稿料の念押しをした舟橋の耳に御利益がありそうな縮れ毛が生えてたりして2倍楽しい。
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