■「本の墓場」で1冊と出会い、少年は
小説を読む喜びにあふれている。物語の虜(とりこ)になることの愉(たの)しさがここにはある。
といってもストーリーが波瀾(はらん)万丈なのではない。激しい人間ドラマが展開するわけでもない。一応ミステリー仕立てだし、登場人物の人生は波瀾にみちているし、巧みな入れ子細工風の物語ではあるけれど、読者をひきつけてやまないのは文体であり、紡がれるイメージの豊かさであり、そしてそれらが表す孤独な少年の打ち震える内面である。
物語は、一九四五年の夏のバルセロナから始まる。十歳のダニエルは父親に連れられて、古書業界の人たちが集う「忘れられた本の墓場」にいき、一冊の本と出会う。フリアン・カラックスの『風の影』という小説だった。父親を探し求める冒険譚(たん)にダニエルは夢中になり、もっとカラックスの小説を読みたくなるが、カラックスは幻の作家といわれ所在不明。しかもカラックスの本を探し求めて焼却している人間もいて、本自体ほとんど残っていなかった。
いったいカラックスとは何者なのか。彼の本を焼却する男の動機とは? やがてダニエルの身に危険が迫る——。
幻の作家を探すことが、スペイン内戦の悲劇をあぶりだし、それがいつしかダニエルの人生と交錯する。というとよくあるミステリーに思われがちだが、“バルザックやユゴー、ディケンズなどの十九世紀文学を強く意識して書かれている”と訳者が言うように文体は濃密で、一字一句なおざりにできない。文章を味わい、喚起される情景に酔い、緩やかな物語の展開に身を任すしかない(それが何とも心地よいのだ)。少年が世界に心を開き、様々なものと出会い、惑い、苦しむことが、あたかも僕ら自身の“心にひらかれたとびらの奥を探索”するかのような体験になる。ここでは本を読むことが“自己の精神と魂を全開”にし、“物を読むことで、もっともっと豊かに生きられる”ことを教えてくれるのである(これぞ古き良き文学の王道!)。
物語に浸ることの陶酔と幸福がここにある。十七言語、三十七カ国で翻訳出版されたのも当然だろう。正に傑作。
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LA SOMBRA DEL VIENTO、木村裕美訳/Carlos Ruiz Zaf(oに´(鋭アクセント)付き)n 作家。64年生まれ。米ロサンゼルス在住。