■時空を超え人間を内側から見つめる
3歳のときに祖父から何を植えてもよいという花壇を与えられ、色とりどりのキンギョソウに導かれた人である。精神科医となり初めて赴任した病院へは、徒歩40分の林道をクヌギを眺めつつ通った。
長年、統合失調症の診療にあたり、阪神大震災では被災者の心のケアに取り組む。幼少時からの植物体験は、医学という人間中心の動物学大系に身を置く著者の思考に大きな広がりを与えたという。
この随想集にあるのも、植物の側に立ち、無用にみえるものの「存在自体を肯定して福をもたらす」という著者の視線だ。地蔵が増えた神戸のこと。認知症の人が思い出の品で「記憶の煤(すす)払い」をし過去を思い起こす光景。ハンセン病の療養所に精神科を設けた神谷美恵子の人生。とりわけ小学六年で敗戦を迎えた著者が平和への祈りを込めた長編「戦争と平和についての観察」は、国家の枠組みも民族も超え複眼的に歴史が捉(とら)えられ、読み進めるうちに心に壮大な宇宙絵巻が広がるよう。
戦争は勝敗に至る「過程」、平和は無際限に続く「状態」という前提に目を開かれる。戦時は格差も不道徳も棚上げされるが、平時は社会の要求水準が高まり堕落が意識されやすい。平和の言葉は同調者しか共鳴しないが、戦争の言葉は単純で万人に訴える。平和は凡庸、戦争は物語を生む。なるほど著者は人が戦争に向かう容易さに比べ、平和がいかに理解しにくく構築に努力を要するかを説くのである。
指導者の多くが早期に自国勝利で終戦するという願望思考に陥る心理や、略奪や強姦(ごうかん)へと戦争が堕落する背景も観察の対象だ。カウンセリングのように分析するのでも日本人特殊説を持ち出すのでもない。国益に左右される巷(ちまた)の歴史解釈ともほど遠い。観察とは真実を理解せんとする態度である。時空を超え人間をその内側から見つめる。そんな姿勢で歴史に臨む人を本来、歴史家と呼ぶのではないか。
「精神科医の心の中にはいくつかの墓がある」。多くの理不尽な死を目前に見た著者にとり、戦争を書くことは魂の供養でもあったろう。静謐(せいひつ)だが重い余韻の残る一冊。
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なかい・ひさお 34年生まれ。精神科医、翻訳・随筆家。『関与と観察』など著書多数。