■ありえな〜い、でも心をわしづかみ
駆け出したくなるほど爽快(そうかい)な小説である。
蔵原走は、寛政大学の新入生。高校時代に不祥事を起こし、陸上部を退部したという苦い過去がある。コンビニでパンを万引きして全速力で逃走中、自転車で追いかけてきた同大四年の清瀬灰二に突然、声をかけられた。
「走るの好きか?」
走はそのまま清瀬が住む崩れかけのアパート竹青荘に無理やり連れ込まれ住むことに。
住人はみな寛政大の学生で、クイズマニアや漫画オタク、双子に司法試験合格者、アフリカの留学生など、九人がそれぞれ狭い部屋で自分の世界を築き上げていた。そこに走が加わったところで清瀬が宣言する。竹青荘は今、陸上部になった。箱根駅伝を目指すと。
十人必要な競技にぎりぎり十人で挑む。しかも、大半が陸上競技未経験者なのに。
ありえなーい、という設定。なのに、ずんずん心がわしづかみにされていく。なんだなんだ、このやろう、と悔しくなるほどに。
大学陸上部を実際に取材し、踏まえるべき事実を押さえたことも一因だろう。文句垂れつつも練習に励み、走ることの意味を問いながら成長していく彼らの姿は、決して絵空事と思えない現実味を帯びて迫ってくるのだ。
後半、箱根駅伝の襷(たすき)リレーからはページを繰る手が止まらない。海岸線、温泉街、トンネル、芦ノ湖、富士山へとめまぐるしく変化する景色に、学生たちの過去の挫折や複雑な家庭事情が重なる。そこにいない九人は今その瞬間を走る一人に呼吸を合わせる。孤独な走りの中で知るのは、仲間の孤独。自分の殻に閉じこもり「厳しくなきゃ走らないやつも、楽しくなきゃ走れないやつも、走るのなんてやめればいい」などとうそぶいていた走も、一本の襷を通じて「自分以外のだれかを恃(たの)む尊さ」に気づいていく。
帯に「目指せ箱根駅伝」とある本書が、学生が互いの友情を確かめあい心身ともに成長していく物語だとは想像がついていた。だが著者は、読者に筋書きを予想されることなど恐れもしない。彼らの感情の起伏が丁寧に書き込まれているが、読者も一緒に走った気になってくれというような押しつけがましさも感じられない。それを望むなら本物の駅伝を応援すればいい。ならば読者としては、著者がなぜあえて小説で駅伝を書いたのかを考えてみたいのだ。すると、彼らの言葉がこれまでとは違う音色で響き始める。
〈俺(おれ)たちが行きたいのは、箱根じゃない。走ることによってだけたどりつける、どこかもっと遠く、深く、美しい場所〉
人には、なんのためとか、誰のためとか、目的の定かでない行為を無性に必要とするときがある。それが何かは手にするまでわからないし、手にしたとしても他人に教えられるものではない。ただ、それはその人の人生を昨日までとはまったく違う色に塗り替える。
著者がこの直球勝負の物語で描いたのも、小説によってだけたどりつける「もっと遠く、深く、美しい場所」ではないか。本書を読み終えた瞬間たどりつける。私は確かに、その場所に立ったとしかいいようがない。
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みうら・しをん 76年生まれ。作家。『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞。ほかに『月魚』『秘密の花園』、エッセー集『人生激場』など。