■もつれた国際関係の糸をほぐす
たとえばブッシュ政権の内幕を詳細に描いたアメリカのノンフィクションを読むにつけ、この水準の作品が日本にはなぜ生まれないのかともどかしい思いがする。だが、日本語から翻訳されて世界に発信してもおかしくない一冊がようやく現れた。
著者が描くのは、4年前の電撃的な小泉訪朝から先頃の北朝鮮によるミサイル発射と核実験に至る、政治・外交の舞台裏である。この複雑きわまりない経緯を、著者はいわば“鳥瞰図(ちょうかんず)”と“虫瞰図(ちゅうかんず)”の視点を自在に行き来しながら、練達の筆致で再現している。750ページに及ぶ大著だが、長距離走者たる著者の呼吸はゴールまで乱れない。
その錯綜(さくそう)した、“積み木くずし”がいつ起こるやもしれない世界でのやりとりを、あえて当事者たちが発した激しい言葉のみ抜き出して例示しよう。平壌の首脳会談用特別控室で、官房副長官だった安倍晋三は盗聴を意識しつつ、金正日に聞こえよがしに、日本人拉致への謝罪がなければ「席を立って帰りましょう」と小泉を促す。一方、北朝鮮側の「ミスターX」は外務省の田中均に、「私は命がけでやっているのです」と洩(も)らすのである。
ブッシュ政権閣僚は金正日を「あんなうそつきをどうやって信用できるのか」と罵(ののし)るが、米政府内では国務省と国防総省および北東アジアの「地域の専門家」と核の「不拡散専門家」との対立が先鋭化し、国務副長官のアーミテージなど、副大統領で“ネオコン”のチェイニーを陰で「あのアホ」と罵倒(ばとう)するのだ。
北朝鮮側の悪態は、枚挙にいとまがない。ところが彼らにしても、ロシアの外務次官から「狂っている」と呆(あき)れられたり、中国国家主席には苦虫を噛(か)み潰(つぶ)したような顔をされたり、おまけに頼みの綱の韓国政府高官からも「韓国をなんだと思ってるんだ」と公衆の面前で怒鳴りつけられる体たらくなのである。
北朝鮮、韓国、アメリカ、中国、ロシア、そして日本の六カ国は、国家の「理性」と「獣性」に由来する、不信やら鬱憤(うっぷん)やら恐怖心やらで身動きがとれない。“三すくみ”ならぬ“六すくみ”なのだ。逆“ウィンウィン・ゲーム”と言ってもよい。各々(おのおの)の内部事情と駆け引きを、著者はこんがらがった糸玉をほぐし、一本一本の色合いと絡み合ったときの文目(あやめ)を示すかのごとく明らかにしてゆく。
かくして辿(たど)り着いた地点には、しかし、あまりにも多くの機会が失われてしまったあとの荒漠たる風景が広がるばかり。むろん最も多くの機会を失ったのは北朝鮮だが、日本も日朝首脳会談を国交回復に結びつけられず、パフォーマンスに長じてはいても地域秩序構想に欠けていた小泉政治によって、「北朝鮮外交で失った機会とは比べものにならないほど大きな機会を逃したのではないか」と著者は記す。この指摘は鋭く、かつ重い。
本書には、ボブ・ウッドワードらの調査報道に見られる断定調の歯切れよさはない。だが、泥沼を精密に解析したうえで、泥沼を泥沼として差し出して見せた本書は、外交という“魔物”の手触りを生々しく読者に感じさせるはずだ。
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ふなばし・よういち 44年生まれ。本社コラムニスト。著書に『通貨烈烈』(吉野作造賞)、『同盟漂流』(新潮学芸賞)など。