■生き残っていくせつなさ
とにかくよく人が死ぬ小説である。人の死なない章はないのではないか。
「ぼく」の自宅の隣には老齢の両親が住んでいる。元T美術大学教授の父親ノブちゃんと、その妻トシ子さん。几帳面(きちょうめん)で博識のノブちゃんが、じょじょにぼけはじめ、トシ子さんと「ぼく」は相談して、彼を老人介護施設に入れることにする。その一方で、「ぼく」の暮らす近所では殺人事件が起き、不穏な空気のなか、意外な人間関係があらわれてくる。ノブちゃんのいる施設でも、老人たちが日夜大小の事件を起こす。色恋沙汰(ざた)もある。どこでも人が暮らしているかぎり、ざわざわと騒がしい。
老いを扱った小説だが、文章はおおらかに乾いていて、暗さが微塵(みじん)もない。暗さはないが悲哀がある。死ぬ悲しみではなく、生き残っていくせつなさである。ところどころ挿入されたノブちゃん、トシ子さん、「ぼく」三人の俳句が、そのせつなさを見事に切り取ってみせる。
老いてもなおつきまとう猥雑(わいざつ)さをあっけらかんと小説は書く。死のあとだってそのざわつきは逃れられない。しかし死の瞬間だけは、騒々しい日常のなか、ふと目をとらえた草花や夜の月のごとく、高潔である。その簡素な高潔さに胸を打たれた。