■競馬シリーズ、ハレーが帰ってきた!
現存する作家の最高のシリーズは何か? ときかれたら、僕はすぐさまディック・フランシスの競馬シリーズをあげる。心を揺さぶるヒーロー像、新鮮な舞台、巧緻(こうち)なプロット、強烈なサスペンス、皮肉なユーモア、苦い現実認識と揃(そろ)っている。何よりもいいのは、真実味のある個性豊かな人物たちの息詰まるドラマだろう。それは四十作目を数える本書でもかわらない。
物語は、元騎手の調査員シッド・ハレーが、上院議員から調査を依頼される場面から始まる。持ち馬が八百長に利用されている疑いがあるというのである。調教師のビルと騎手のヒューが怪しかったが、間もなくヒューが殺されてしまう。ハレーに謎のメッセージを残したまま……。
『大穴』『利腕』『敵手』と続くシッド・ハレーものの四作目である。競馬シリーズは原則的に毎回主人公が異なるのだが、例外が二つあり、その一つがハレーもの。作者が最も愛着をもつ連作で、事実、前記三作は四十作の中でもベスト10に入る傑作たち。レース中の事故で片腕を失った男の再生と挑戦を描く物語は、競馬シリーズの典型をなすだろう。つまり、肉体のみならず精神の限界まで追い詰められ、誇りと勇気と克己と愛をめぐる、熱く激しいドラマが展開するからである。
とはいえ今回は、謎解きに徹していてドラマの部分が弱い。しかし八十五歳の新作なのに、若々しく快調な語りは心地よく読者を掴(つか)んで離さない。体が熱くなるほどの昂奮(こうふん)にみちた傑作たち(『血統』『度胸』『興奮』『罰金』)と比べたら、悪役の邪悪さや脇筋も足りないが、それでも人間性に対する温かく深い理解が前面に出ていて、後味がいい。フランシスの水準作だが、それでも現代ミステリにおけば充分(じゅうぶん)に佳作に値する。
ともかく競馬シリーズは、一度も馬券をかったことがない人間でさえも夢中になる、小説好きなら必ずや虜(とりこ)になる素晴らしい小説の宝庫だ。真摯(しんし)で清廉な生き方をする男たちの物語という点で、突飛(とっぴ)と思わないでほしい、いまブームをよぶ藤沢周平のファンにも強くお薦めしたい。
◇
UNDER ORDERS、北野寿美枝訳、/Dick Francis 20年、英ウェールズ生まれ。作家。競馬騎手出身。