■「タフ」「非情」の文学 米国から日本へ
「日本のハードボイルドの夜明けは、いつくるんでしょうかね。コダカノブミツさん?」。名優・松田優作扮する工藤俊作探偵が、一九七〇年代末の人気テレビドラマ『探偵物語』で呟(つぶや)いたアドリブの台詞(せりふ)である。たしかに、ダシール・ハメット『マルタの鷹(たか)』の翻訳からミッキー・スピレーンら作家別短編集の編纂(へんさん)、ミステリ評論や研究、ひいては『探偵物語』の原作小説執筆までを長年こなしてきた小鷹信光の名は、我が国ではこのジャンルの代名詞になりおおせてしまった。したがって本書も決して自伝ではなく、なおも飽くことを知らぬ探求心の結実である。
ハードボイルドとはいったい何か? イギリス人が好むのはきっかり三分三十秒茹(ゆ)でた半熟卵(ソフトボイルド)だが、アメリカ人が好むのは十五分も二十分もかけてコチコチに茹で上げた固茹で卵(ハードボイルド)であり、これが俗語で「食えないやつ」「御しがたい奴(やつ)」「手強(てごわ)い相手」、ひいては「非情な」「苛酷(かこく)な」なる意味に転じたという。
一九二〇年代のジャズ・エイジ以降、ハメットらが生み出したヒーローたちはまさにそんな連中であり、それが文豪アンドレ・ジッドらの評価を得た結果、「“タフでなければ生きていけない”大恐慌下のアメリカの町をひとり歩んで行った男たちの物語にハードボイルドの名が冠せられたのは一九四〇年代の初めのことだった」。
小鷹はその精神性からひとつの現代文学ジャンルが構築されていく経緯を、膨大な文献学的調査をもとに検証し、トウェインからヘミングウェイ、フィッツジェラルド、フォークナー、チャンドラーらのアメリカ文学史はもとより、谷譲次から江戸川乱歩、双葉十三郎、大藪春彦、矢作俊彦、そして村上春樹までにおよぶ、もうひとつの日米交渉史を生き生きと描き出す。
だからこそ、読み終えてから第一章「アメリカと私」へ戻ると、学童疎開の悲しみを抱えつつ「人前では決して涙を見せない少年」だった著者のハードボイルド的起源が、いっそう切実に迫るのだ。
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こだか・のぶみつ 36年岐阜県生まれ。訳書は『マルタの鷹』など100を超える。