■他者を理解するとは何なのかを問う
古書愛好家ポールと妻の画家ジェニファーは、息子の3歳児検診で医師に発達障害を指摘された。息子モーガンは1歳でアルファベットを覚え、2歳で歌を正確に繰り返せるのに、両親の呼びかけには反応しない。
夫婦はこれまで生きてきた自由な世界から目の前の現実にうまく着地できずに戸惑い、葛藤(かっとう)する。支援プログラムの力を借り、ありのままの息子を必死に受け入れようとする。ただし本書は帯にあるような単なる「感動的な子育て記」ではない。自分と異なる世界に生きる人をどう理解すればよいかという普遍的な問いが全編を貫いている。
自閉症者には他者の概念がなく、信じる、考える、といった心の状態を表す言葉が存在しないという。人に騙(だま)されたり裏切られたりすることも知らない。ポールは恐れた。モーガンに死をどう教えればよいか。いや、教えなくてはならないのか。自分が死んだら息子を守れるか。自閉症の初期症例といわれる18世紀の野生児ピーターに関する古書に導かれたポールは、精神医学の歴史をひもとき、自閉症者の内面へと分け入る。
親の教育が原因と説く似非(えせ)神経学者の欺瞞(ぎまん)や、フロイトの弟子カナーとアスペルガーが同時に同じ症例に着目して「自閉症」と名づけた偶然。音楽と数学の奇才やマイクロソフトに勤める自閉症プログラマーのエピソードは、強い集中力をもつ彼らの精神世界を垣間(かいま)見せてくれる。ポールは自分の過去もさかのぼり、彼もまた何かに熱中すると人の声が聞こえず、特殊学級に入れられたことを明かす。私たちだってどこまで他者を理解しているか。モーガンは本当に異なる世界の住人かという問いが大きくなる。「彼らはぼくたちなのだ。彼らを理解することは、人間であるとはどういうことなのかを理解し始めることである」
父と息子がかすかに会話を交わし、希望を見いだすところで本書は終わる。感動的だが涙はない。今この瞬間も不安と喜びが交互に押し寄せる彼らの日常が想像できるからだ。感傷に浸ることを許さない、著者の強い志も同時に。
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Not Even Wrong、中尾真理訳/Paul Collins 米の作家。19世紀米文学の研究も。『古書の聖地』など。