■ようやく開かれた重い扉
きわめて重要なテーマなのに、ほとんど誰も取り上げる専門家がいなかった。現に、この問題について本格的な一冊を著した精神科医は、著者が初めてなのである。
多数の症例のうち一例だけあげると、在日の父と日本人の母との間に生まれた男性のケース。物心ついて父が朝鮮人と知らされ、「他人には絶対口にしない秘密」となる。やがて過剰なほど日本人として振る舞いだし、腕に「日本男児」の刺青(いれずみ)を入れ、職を転々とした末に入院。幻聴と迫害妄想が認められた。
これは決して極端な例ではないと、在日の取材をしてきた私は断言できる。彼に限らず、「朝鮮へ帰れ」といった幻聴や、警察に監視されているという妄想は、在日の日常では幻聴でも妄想でもない現実だからである。
在日の場合、アイデンティティーの葛藤(かっとう)が思春期特有の病理ではなく、初老期でも顕在化しうると著者は書く。その際「ほとばしり出る異常体験」の数々はどれも痛ましいが、本当は在日側の問題ではなく、そこまで追い込んだ日本社会の問題なのだと、誰しもが気づくにちがいない。
末期がんと闘病中の著者によって、タブーの重い扉がようやく開かれた。