ここから本文エリア

RSS

現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]中条省平> 記事

書評

ファンドーリンの捜査ファイル リヴァイアサン号殺人事件 [著]ボリス・アクーニン

[掲載]2007年03月18日
[評者]中条省平(学習院大学教授・フランス文学)

■ホームズ並み推理と、ルパン級活劇と

 著者名はいかにもロシア語的に響くが、日本語の「悪人」をもじったもの。というのも、著者はもともと日本文学者で、三島由紀夫をロシアに翻訳紹介した人物なのだ。

 その悪戯(いたずら)っ気たっぷりの悪人氏が娯楽小説を書き始め、ロシア一のベストセラー作家となった。彼の最も人気の高い作品が「ファンドーリン物」で、今回訳出されたのは、シリーズの第3、4作。ともに作中で日本人が活躍する。

 舞台は帝政ロシア末期。帝政はまもなく革命に打倒されるが、ソ連が崩壊した今、古き良き帝政時代はノスタルジーの対象らしい。本シリーズも、「文学が偉大であり、進歩への確信が限りなく、優雅に趣味よく犯罪が行なわれ解明された一九世紀」に捧(ささ)げられている。つまり、粗野で悪趣味な犯罪しかない現代への繊細な批判精神の表れなのだ。

 主人公ファンドーリンは20代の美青年で外交官。まさにホームズやルパンの同時代人であり、ホームズ並みの推理的知性と、ルパン級の冒険精神とを合わせもっている。

 おりしも彼は外交官として赴任先の日本をめざし、豪華客船リヴァイアサン号に乗っている。この船には、子供を含めて一度に10人を殺害するという、パリで起こった残虐な事件の下手人が同乗していた。未知の犯人を追ってフランス人の警部も乗りこんでいる。客船は洋上の密室である。果たして、第2、第3の殺人事件が起こり……。

 この『リヴァイアサン号殺人事件』がホームズを髣髴(ほうふつ)とさせる本格推理であるなら、続く『アキレス将軍暗殺事件』は最良のルパン物にも匹敵するきわめて見事な冒険活劇に仕上がっている。このスタイルの書き分けに著者の才能の巨大さが感じられる。

 また、このシリーズを単なる懐古的なミステリーから隔てているものは、叙述形式への先鋭な意識である。十九世紀的な全知全能の一人称で語るのではなく、語り手はしばしば交替して、世界の見え方をプリズムのように変えてみせる。にもかかわらず、娯楽小説としての完成度はいささかも揺るがない。驚くべき書き手が現れたものだ。

    ◇

 Boris Akunin 56年生まれ。

ここから広告です

広告終わり

このページのトップに戻る