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書評

周恩来秘録 上・下 [著]高文謙

[掲載]2007年03月25日
[評者]野村進(ジャーナリスト・拓殖大学教授)

■皇帝型権力の専制に振り回されて

 ここ十年ほどの間に刊行された『毛沢東の私生活』や『マオ――誰も知らなかった毛沢東』などにより、中国建国の雄たる毛沢東像は地に堕(お)ちた感がある。代わって定着したのが、猜疑心(さいぎしん)の虜(とりこ)となった“現代の始皇帝”というイメージで、本書もそれを補強こそすれ、訂正を迫るものではない。本書で大きく塗り替えられているのは、ナンバーツーだった周恩来像の方である。

 周が死んだとき、八十を超えた毛が爆竹を盛大に鳴らして喜んだという暗いエピソードから本書は始まる。毛の異常な猜疑心は、打倒した劉少奇や林彪だけでなく周にも向けられ、歴史的な米中国交回復で見せた周の鮮やかな手際までが、毛の猜疑を掻(か)き立てたというのだから、驚くほかはない。つねに周はひたすら平身低頭して生き延びるのだが、自己保身のため文化大革命時にはかつての同志たちを見捨てる決定を何度も下した。革命前には、転向した幹部の一家全員を処刑させる冷酷さも、彼にはあった。

 それでも、毛には及ぶべくもない。毛は、周の膀胱(ぼうこう)がんを医師団から知らされていながら、周に伝えず、検査も手術も認めず、その死期を早める一方で、周に対する執拗(しつよう)な追い落とし工作を仕掛けつづけた。毛の仕打ちを著者は「冷酷で陰惨な殺人」と断じるが、ここまでされても周の屈従は変わらず、臨終の間際にも毛を讃(たた)える歌を口ずさんで微笑(ほほえ)むのである。

 毛と周の関係は、暴君と忠臣、主人と奴隷、SとM、いずれにも似ているが、その徹底ぶりは常軌を逸している。フィクションなら、グロテスクな悲喜劇と笑い飛ばしたくなるところも多々ある。だが、これは中国共産党の中央文献研究室で機密文書を閲読できる立場にあり、一九八九年の天安門事件後アメリカに亡命した著者が、膨大な資料とインタビューによって構成したドキュメンタリーなのだ。

 著者の言うように、中国の「皇帝型権力専制主義」の本質がいまも不変とするなら、かの地の人々はこれからも権力にいつ翻弄(ほんろう)されるかもしれぬ人生を送らねばならない。読後、重い徒労感が残った。

    ◇

 上村幸治訳/こう・ぶんけん 53年北京生まれ。在米の周恩来研究者。

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