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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]巽孝之> 記事 書評 テンペスト [著]エメ・セゼール、W・シェイクスピア、ロブ・ニクソン、アーニャ・ルーンバ[掲載]2007年03月25日 ■300年の時を隔てて読み替え、批評 「わたくしは暴君に支配されております。そいつは魔術師で、魔法でわたくしから島を奪い取ったのです。(中略)でもいちばん考えておかなきゃならんのは、あいつの娘、こいつはチョー美人のスケです」 一読して、まさかイギリスの文豪シェイクスピアが新世界アメリカを意識した傑作喜劇『テンペスト』(一六一一年ごろ執筆)の一節、それも島の原住民たる怪物キャリバンの言葉だとは、思いもつくまい。だがこれはまぎれもなく、編訳者がこの古典を巧みな二十一世紀日本語で甦(よみがえ)らせた成果なのである。 いっぽう、現代に甦ったキャリバンはこう語る。 「俺(おれ)をXと呼んでくれ。そのほうがいい。いわば名前のない人間だ」 これは、二十世紀カリブ海はマルティニク島出身の作家エメ・セゼールの手になる改作『もうひとつのテンペスト』(一九六九年)において、怪物ならぬアフリカ系黒人奴隷として再登場し、スワヒリ語の「ウフル(自由)!」を連発するキャリバンの言葉。そのモデルが一九六〇年代の黒人公民権運動家マルコムXであるのは、あまりにも明らかだろう。 三百年もの時の隔たりにもかかわらず、ふたつの『テンペスト』を並列させ、ポストコロニアル批評家ニクソンやルーンバらによる卓抜な論考をも収録した本書は、日本独自の編集になる卓抜なアンソロジーだ。時代や国家が変わっても読み替えられ書き直されるだけの余地を含んだ作品こそが古典の名に値することを、本書はひとまず実感させる。さらに、植民地主義が終わっても、その「終わり」自体を忘却して何度となく甦ってくるのが「帝国」の宿命であることも、復習できる。 たしかに元ミラノ公であった「征服者」たる魔術師プロスペローと「歴史のエージェント」たる奴隷キャリバンの対立は、作品の中核を成す。しかし同時に、プロスペローの弟アントーニアが兄からまんまと王位を簒奪(さんだつ)し、自らのウソを信じ込んでいったように、いまも「帝国」は密(ひそ)かに次の一手を狙っている。 ◇ 本橋哲也編訳、砂野幸稔、小沢自然、高森暁子訳、インスクリプト・3308円 ここから広告です 広告終わり 書評 バックナンバー
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