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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]野口武彦> 記事 書評 江戸の読書熱―自学する読者と書籍流通 [著]鈴木俊幸[掲載]2007年03月25日 ■向学心支えた無名のベストセラー 正直に告白すると、評者は本書で大きく取り上げられている江戸時代の漢学独習書『経典余師(けいてんよし)』については何の知識もなかった。 著者は、文学史辞典にも載らず、注目する研究者もほとんどなく、「学芸史・思想史といった学問の視界には入って来なかった」この無名の書物を長い忘却の中から掬(すく)い上げ、あわせて十九世紀日本における「知の底上げ」という興味深い事象を掘り下げてゆく。「普通のことは論じにくく、歴史から普通のことが漏れてしまっている」という着眼が非凡である。 『経典余師』は鳥取藩の儒者だった渓(たに)百年の著作。これまでの教授法から大胆に踏み出して、儒学古典を「平ガナニてざつと解く」入門書を刊行した。何よりも「師要(い)らず」(先生不用)というのがセールスポイントである。 天明六年(一七八六)の初版このかた何度も版を重ね、偽版も売り出され、続版が明治初年にまで及ぶ隠れたベストセラーである。「尋常ならざる量の発行部数」があったと推定されている。 具体的な数字は不明であるが、続刊や再版といった版種の数、板木の疲れや摩耗状態から増刷の度合いがわかるそうだ。諸版本を網羅して実証してゆくプロセスは一般読者にはちょっと退屈だが、著者はさすが心得たもので「書誌についての繁雑な考証、また史料の引用を端折(はしょ)って」読んでもよろしいといっている。 見えてくるのは、近世後期に日本の津々浦々で民衆レベルの《向学心》が萌(も)え出た景況である。読書算盤(そろばん)を習う寺子屋でも素読を教える時代が到来していた。師匠も不足気味だったろう。経書の本文に「平仮名混じりで注釈と書き下し文」を付け、いわば《現代語訳》した『経典余師』の需要が増大した理由もうなずける。出版は営利事業だ。これを商機として販売網が着実に全国に広がったのである。 著者はその学問熱を「自学自習」の一語に要約する。江戸時代が近代日本に贈った遺産の一つは、民衆の高い識字率であった。学ぶことが「普通」だった社会を復原(ふくげん)した読み応えのある一冊だ。 ◇ すずき・としゆき56年生まれ。中央大教授(書籍文化史)。著書に『蔦屋重三郎』など。
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