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書評

観光 [著]ラッタウット・ラープチャルーンサップ

[掲載]2007年03月25日
[評者]池上冬樹(文芸評論家)

■タイ舞台に色鮮やかな生の裸形

 久々に海外文学の叢書(そうしょ)「ブック・プラネット」が生まれた。本書はその第一弾でタイ系アメリカ人のデビュー作。英米の有力紙が絶賛し、全米図書協会から「注目すべき若手作家」に選出され、すでに十三カ国で刊行された。確かに喚起力豊かな文章は素晴らしく、収録された七篇(へん)すべてタイが舞台なのに異国情緒はなく、むしろ普遍的な生を追求していて実に鋭い。

 たとえば表題作の「観光」。海辺のリゾートへと旅立つ失明間近の母親と息子の交流を描いた作品で、普通なら陰々滅々な話になりそうなのに、中盤からは明るく愉(たの)しく、それでいて一抹の悲しみを滲(にじ)ませて、生命の光を限りなく優しい筆致で捉(とら)えて、きわめて美しい仕上がりである。

 または「カフェ・ラブリーで」。十一歳の少年が、兄に連れられてあやしげな酒場で大人の世界をかいま見る話で、具体的にはシンナーとセックスとオートバイが出てくる。この三つはありふれているものの、作者は少年の内面に入りこみ、緊張と不安と喜びを丁寧に掬(すく)いあげて読む者の心まで震わせる。

 さらには中篇「闘鶏師」。闘鶏で破滅していく父親を見つめる娘の苦悩を描いた作品で、町を牛耳るボスの息子との対決、友情、克己心などテーマも多彩で、なおかつそれらが物語の基点になり新たな展開を辿(たど)る。最もドラマティックな秀作で読み応え充分。

 そのほかでは息子の住むタイにやってきた老アメリカ人の頑固一徹を溌剌(はつらつ)とした(でもいささか苦い)ユーモアでくるむ「こんなところで死にたくない」、カンボジア難民の少女と心を通わせる「プリシラ」なども忘れがたい。

 「闘鶏師」に“善悪、左右、上下、内外、そういった言葉はここの人たちには意味がない”という言葉があり、それがタイの現状なのかもしれない。しかしだからこそ、混沌(こんとん)とした情況で生きる縁や人の絆(きずな)といったものが逆に輝きだす。もちろんそこには燃えたぎる怒りが、熱をもつ癒えない傷が、あるいは理解されない悲しみもある。原初的ともいうべき色鮮やかな生の裸形がここにある。注目!

    ◇

 Sightseeing/古屋美登里訳/ Rattawut Lapcharoensap 79年米シカゴ生まれ。作家。

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