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書評

星新一 一〇〇一話をつくった人 [著]最相葉月

[掲載]2007年04月01日
[評者]鴻巣友季子(翻訳家)

■人生が文体を生んだ…初の本格評伝

 星新一は「ボッコちゃん」など、ユーモラスかつ未来を予見するような作品で、日本にSFとショートショートを根づかせた。文庫発行数は3000万部超。感情を排した透明な文体の裏には、しかし苦渋のドラマがあったという。本書は、遺品の日記や草稿、関係者の手紙、談話など膨大な資料をもとに、英雄の生涯を語りおこす初の本格評伝である。

 「今日あたり死のうかな」。父の会社を継いだ星の日記に、そんな言葉が見つかる。父は政治家であり〈星製薬〉の創業者星一、祖父は近代医学の草分け小金井良精。後に星は自分のルーツを洗い直すかのように、祖父と父の伝記を書いているが、本書によって明らかにされることは多大だ。星製薬は大正期にモルヒネの国産化に成功して大企業化したものの、阿片(あへん)疑獄でつまずいた。借金まみれの会社を継がされた新一は、経営手腕もなく、現実から逃げるようにSFの世界に入っていく。父の「負の遺産」がなければ、作家星新一は生まれなかったかもしれないのだ。

 私が星新一に特別の興味を抱いたのは、彼が明治の翻訳家にして鴎外の妹の小金井喜美子の孫と知ったからで、つまり星新一は鴎外の又甥(またおい)にあたるのだが、そう言うと多くの人が驚く。これほど著名でありながら、人物像が世に知られていないのは、作家研究があまりに乏しいからだろう。この評価の低さはどこから来るのか。著者はそれを探っていく。星は昭和35年の直木賞落選のころから、「人間が書けていない」といったお決まりの批判を受けていたという。文学作品とは「作者の人生を放り込むもの」との認識があり、星の姿勢はその正反対のように見られた。そうではない、人間への絶望と愛情が深すぎるがゆえに、作品では感情を極限まで抑制したのだと、最相は分析する。人生が文体と小説スタイルを生んだのだ、と。

 しかし星の初期のライバル安部公房が『砂の女』の英訳で世界に認められ、ノーベル賞候補と言われた一方、星は作品の数に賭け、1001編を目指す。「千編に終わらない」という意味をこめた1001編目がどのように迎えられ、どんなその後を辿(たど)ったか。それを語るくだりは、本書中でも最も胸にせまる。これは人物伝であり、戦後のSF史、翻訳史であると同時に、星新一とSFを評価しきれなかった日本文学の歩みでもあるのだ。

 星を古くから知る同人誌の主宰者や小松左京や筒井康隆らの貴重な話のなかに、最相の洞察と批評が効いている。生命の連鎖を科学的に解説した星の初著書を「若い新一の遺書」のようと評する感受力は、作家の死生観とがっちり組み合ってこそ得られたものだろう。星の情念が「乗り移った」というあとがきの言葉には、かつて星自身が祖父の伝記を書いたときの「この本を書いたのは祖父でもあり私でもある」という名言がだぶり、取材対象に肉薄しようとする著者の情熱に圧倒された。こうして新たな解釈を加えられたことで、星新一という「一冊の本」はテクストの厚みを増した。評伝を読む意義を改めて考えさせてくれる一冊である。

     ◇

 さいしょう・はづき 63年生まれ。ノンフィクションライター。『絶対音感』で小学館ノンフィクション大賞。著書に『青いバラ』ほか。

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