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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]唐沢俊一> 記事 書評 謎のマンガ家・酒井七馬伝 [著]中野晴行[掲載]2007年04月01日 ■幻の作家の実像に光を当てた労作 「手塚治虫の名と業績を知らぬものはないが」 と書き出そうとして、筆が止まった。死後すでに20年近く、若い世代には、一度も手塚作品を読んだことのない人もいるだろう。まして、その若き日の手塚と一作だけの共著を世に出したのみでマンガの“正史”から消え去った人物、酒井七馬の名を記憶している者が何人いるか。 しかし、そのたった一作がその後の日本のマンガを変えた。石ノ森章太郎や藤子不二雄といった人たちをこの世界に飛び込ませたのは、手塚が絵を、酒井が原作・構成を担当した作品『新宝島』(47年)との出会いだった。そのときの興奮を、石ノ森も藤子も力を込めて記録している。だが、彼らの賞賛(しょうさん)の全(すべ)ては手塚一人に向けられ、酒井の名は無視された。それどころか、当の手塚によって、酒井のその後の人生は不遇なもので、最後は餓死した、という“伝説”までが流布していった。 本書はその伝説に真っ向から異を唱え、丹念な取材と資料発掘によって、この幻の作家の真の姿と、その業績に光を当てた労作である。マンガ史研究の一級資料として、ぜひ手に取ってもらいたい。 ……と言ってしまえば書評者としての責は全うするのだが、こういう書籍を、先にも言った、“手塚治虫すら知らない世代”にどう勧めればいいのか、悩むところである。聞いたこともない、歴史から消えた人物のことが自分たちに何の関係があるのかと、鼻で笑われるかもしれない。しかし、酒井七馬という個人の評伝を超えてこの本には、才能あふれる一人の創作者がもてあそばれる時代と運命、という永遠のテーマが描かれている。マンガ史という狭い枠の中に押し込めるには勿体(もったい)ない本だ。若い人たちにこそ、読んでもらいたいのである。 これも一種の伝説なのかも知れないが、この本の担当編集者は、酒井七馬の知名度の低さから執筆をしぶる著者に“いいじゃありませんか、日本一売れない本を作りましょう”と言い切ったそうだ。この本がどれだけの人に読まれるかで、日本の文化度が計られると言って過言でない。 ◇ なかの・はるゆき マンガ編集者・ノンフィクションライター。著書に『球団消滅』ほか。
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