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書評

イラク占領―戦争と抵抗 [著]パトリック・コバーン

[掲載]2007年05月06日
[評者]酒井啓子(東京外国語大学教授・中東現代政治)

■米の大失敗と深刻な無法状態を分析

 4年前の5月1日、ブッシュ米大統領が能天気にイラク戦争に「終結」を宣言し、イラクに進軍した米兵が「解放されたイラク人が花を持って歓迎してくれる」と無邪気に信じていた頃、「本当にたいへんなのはこれからだ」と、正確に事態を予想し身構えていたのは、一部の中東専門のジャーナリストたちだった。英インディペンデント紙はパレスチナ報道の第一人者、ロバート・フィスクとともに、本書の著者パトリック・コバーンをイラクに投入していた。英ガーディアン紙は少し遅れて、戦争前からイラク国内からネット発信して超有名となったブロガー、サラーム・パックスのコラムを取り上げた。わが国各紙も、各社精鋭の中東記者をバグダッドに送り込んだ。

 なかでもコバーンは、情報収集、分析力、表現力いずれも優れた、超一流のイラクウオッチャーである。湾岸戦争とその後を扱った前作「灰のなかから」は、筆者も愛読してあちこちで引用した。下手な米シンクタンクの中東研究者よりも、よっぽど信頼に足る。

 その彼の新作たる本書は、ブッシュが「終結」宣言をしたときにはまだ「戦争は……始まっていなかった」と、のっけから看破する。いまだに「イラク戦争」を03年3月からの43日間のものとして表記しているのは、日本のメディアぐらいなものだろう。今年3〜4月の米兵の死者数は、この43日間の死者数に迫るものとなっている。この状況を「戦後」ということが、いかにばかばかしいことか。

 ということで、本書はその戦争と占領下の状況と米政権のイラク政策のとてつもない大失敗を、これでもかと述べ立てる。その手の本は、著者が危惧(きぐ)するように、つい悪いことばかりを選んで書いてあるのだろうと非難されがちだが、本書が緻密(ちみつ)な取材に基づく事実であるのは、一読すればわかるだろう。

 そして楽観論を捨てきれない読者に、いかに事態の深刻さを理解させるかに腐心する。今のイラクが「完全な無法状態」だとの表現には、深く得心がいく。マスコミが多用する「イラクでまたテロ」という表現は、社会のなかで合法と違法が弁別されていることを前提としているが、事態はそれほど甘くない。イラクで放置されている法の不在状況こそが、問題なのだ。米軍の撤退、政権の不安定化などでしばしば懸念が指摘される「権力の真空」も、また然(しか)り。「戦後」この方、権力が真空でなかったことがあったか、と。

 情報の精度だけではない。米政権がどう失敗していったか、なぜイラク人が反米化していったか、かつて存在しなかった宗派対立がいかに醸成されたか、政治分析の的確さも抜群だ。スンナ派のイラク精鋭部隊ですら、「戦争」中、フセインのために米軍と戦おうとしなかった、という著者の指摘は、常に思い出されるべき事実である。

 イラク情勢理解に必読の書なだけに、誤植と誤記が多すぎるのが、残念。近年中東報道が増えたおかげで、アラビア語の固有名詞の邦語表記も定着しつつある。重版されるべき本なので、ぜひ見直してもらいたい。

   ◇

 THE OCCUPATION War and Resistance in Iraq、大沼安史訳/Patrick Cockburn 50年生まれのアイルランド人ジャーナリスト。79年から英紙の特派員として中東の取材を続ける。

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