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書評

ゲーム的リアリズムの誕生 [著]東浩紀

[掲載]2007年05月20日
[評者]唐沢俊一(作家)

■剣豪小説のような痛快さ持つ思想書

 東浩紀氏も学者として老練になったものだ、というのが本書前半の印象だ。

 本書は01年に講談社現代新書から上梓(じょうし)された『動物化するポストモダン』の、5年半ぶりに出た続編という位置づけになっている。内容は前作に引き続き、オタクと呼ばれる人々によるポストモダン的物語受容の変容(いわゆる動物化)を解き明かす体裁になっているものの、その手法はだいぶ変化している。

 はっきり言えば前作におけるその問題提起は、論理の飛躍と取り扱う対象(アニメ等オタク的作品群)に対する知識の欠如があり、その分野に詳しい読者は、

 「それはないだろう」

 というツッコミを入れながら読み進めざるを得なかったはずだ。ところが、そうやって内容の不備を自分で補完しつつ読むという行為により、読了時点で読者個々の頭の中にオリジナルな動物化理論が完成するという仕組みで、これはまさにポストモダン時代の、新しい思想の呈示(ていじ)の形なのではないか、と思わせるユニークさがあった。

 それに比べると、今回の続編は、用心深く、大塚英志氏らの先行のメタフィクション論の検討という形式をとって論を進めている。そこに大きな破綻(はたん)はないものの、前作にあったパフォーマティブな面白さには欠けるのでは、と心配になるのも事実である。

 しかし、後半で、著者がオタク的物語消費の典型例としてのライトノベルを具体的に評論し始めるあたりになってくると、従来の東氏らしさが顔を出す。ライトノベルに比較された時の自然主義文学への勉強不足(本書での認識はクラシックに過ぎるだろう)を気にもとめずどんどん話を断定的に進めていくあたりの痛快さは、喩(たと)えが変かもしれないが、剣豪小説のような、スカッとした読後感を残す。こういう現代思想書もあまりない。代わりのいない個性を持つ学者なのだ。まだまだ老成せずに、若々しい問題提起を続けて欲しいものだ。

 そういう意味で、一応独立した書籍にはなっているものの、前作からの通読をお奨(すす)めしたい。

    ◇

 あずま・ひろき 71年生まれ。哲学者・批評家。東京工業大学特任教授。

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