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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]鴻巣友季子> 記事 書評 円朝芝居噺 夫婦幽霊 [著]辻原登[掲載]2007年05月27日 ■痛快なり!落語と翻訳と文学の迷宮 二葉亭四迷訳のツルゲーネフ、森鴎外訳のアンデルセン。外国文学の翻訳を通して日本近代文学の文体は作られてきた。さて、その明治の翻訳に多大な影響を与えた人といえば、三遊亭円朝である。 ところが、円朝落語こそがじつは翻訳物だったという大逆転、「目からウロコ」の切り口で読者をあっと言わせ、虚実交錯する迷宮へと誘いこむのが本書だ。物語論を擁したメタフィクションだが、その面白いこと痛快なこと! 作中に「辻原登」が登場し、自身が十年前に書いた短編の国文学者の死にふたたび直面する。彼の遺品から出てきた明治期の速記原稿は、なんと「夫婦幽霊」と題する円朝の幻の噺(はなし)と判明。古式の速記を解読し、咄家(はなしか)の語り口を甦(よみがえ)らせる過程を、辻原登は「翻訳作業」としてとらえ、作者がみずから創出した人物から翻訳をひきつぐ、という奇天烈(きてれつ)な事態を出来させる。 作中作の「夫婦幽霊」がまた傑作である。御金蔵破りをめぐる三組の夫婦の化かしあいには、円朝自身もご活躍。江戸吉原や深川の鮮やかな情景と、サウンドスケープ。四迷や国木田独歩そっくりの文体が現れる個所など、たまらない。円朝師匠、自分のマネをした作家たちのマネをしているというわけだ。しかし名調子の噺と対照的に、訳者注では翻訳の苦労や疑問が縷々(るる)つづられ、やがて注のほうが本文を侵食していく。これはナボコフの『青白い炎』などで用いられてきた戦略だが、最後には驚天動地の訳者後記へ突入する。そこに芥川が?! 翻訳と原文の間に「すきま」があることを、辻原登は最大限に利用する。そもそも人が話した言葉、考えた言葉は、そのとおり文字化できるのだろうか。ポーランドの詩人ミウォシュは、「作家とは、見えざる大きな存在の言葉を書きとる筆記者だ」と言っている。では、「夫婦幽霊」の真の作者はいったい誰か? 円朝か、速記者か、翻訳者か、それとも……? 野暮(やぼ)なこと言っちゃあいけませんとばかり、本書は「作者の死」なんて文学の理屈は軽やかに超えて天翔(あまがけ)る。本物の物語(ロマンス)とはこのことだ! ◇ つじはら・のぼる 45年、和歌山県生まれ。06年、『花はさくら木』で大佛次郎賞。
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