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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]赤澤史朗> 記事 書評 歴史で考える [著]キャロル・グラック[掲載]2007年05月27日 ■「語り」の背後にある価値観を分析 安倍首相が「戦後レジームからの脱却」を唱えていることからすると、終わりつつあるとはいえ今でも「戦後」は続いているに違いない。しかし本書によれば「戦後」が半世紀以上も長く続く現象は、日本以外では見られないようなのだ。こうした日本人の歴史意識を問いただそうとしているのが、本書である。 1990年代から登場した文化論的な研究は、日本近現代史研究の重要な一角を占めるが、その流れをリードしてきた一人が、ベトナム反戦世代に属するアメリカの日本研究者の著者である。本書は、主に日本の近現代についての歴史の「語り」が、その背後にどのようなイデオロギッシュな価値観や「近代」観、そしてフィクションを含む想念を潜めているかを分析した論文集である。 本書には、自己満足的な歴史の「語り」に対する強い反発の意識が見られる。例えば80年代以来の江戸ブームで描かれた、まるで高度成長後の日本社会のような「ポストモダンな江戸」像は、都合の悪い点を見ない歴史の作りかえであるという。それは今日の「不確かな未来からの逃避所」としての江戸像だというのだ。本書の特徴の一つは皮肉っぽい文体にあるが、それはこうした著者の姿勢に基づいている。 自国民向けのナショナルヒストリーも、自己肯定的な歴史の「語り」の一種である。その点で90年代に「慰安婦」が、アウシュビッツやヒロシマと並んで国境を超えた「トランスナショナルな記憶」に発展していった過程に著者は希望を見出(みいだ)している。 著者は、日本人の歴史意識を示す膨大なテキストに当たってそれを細心に処理しており、優れた力量の持ち主といえる。ただしその力は、主に歴史の「語り」に関するイデオロギー批判の面に向けられており、その「語り」がどこまで歴史の実態に基礎を持つかについては、あまり立ち入ることはない。とはいえグランドセオリーが失われた今日の段階で、批判的な歴史学がどうしたら作り出せるのか、模索する著者の思いが伝わってくる書物といえよう。 ◇ 梅崎透訳/Carol Gluck コロンビア大学教授(近代日本史、思想史)。 ここから広告です 広告終わり 書評 バックナンバー
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