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書評

コップとコッペパンとペン [著]福永信

[掲載]2007年05月27日
[評者]斎藤美奈子(文芸評論家)

■時間感覚と予定調和を攪乱の醍醐味

 福永信を読むとは、稀有(けう)な読書体験をするってことだ。

 実際彼は、小説を現代アートの一種と思っている節さえあり、『アクロバット前夜』では横書きに印刷された文章がページをまたいで延々と右に続いていく造本で読者をコケ脅(おど)しすらしたのだった。

 その点、本書はふつうの短編集の顔をしているが、なまじふつうに見えるぶん、始末が悪い。なにせ表題作の1行目から意味が不明だ。

〈いい湯だが電線は窓の外に延び、別の家に入り込み、そこにもまた、紙とペンとコップがある。この際どこも同じと言いたい〉

 キツネにつままれた気分のまま、そこは見なかったことにして読み進めると、〈図書館で調べものをしていると、ここに座ってもかまわないかな、と聞こえ、早苗の周囲に煙草(たばこ)の匂(にお)いがただよった〉という話になり、予期せぬ男の子の出現で早苗は〈胸が高鳴る〉が、その後の展開はないまま、8行先で2人は〈近所もうらやむほどの仲の夫婦〉となっており、〈腹には子供までいる〉。では夫婦の話なのかと思えば、15行も進むと早苗はもう死んでいて、夫と娘が再婚話をしているが、数行後にはその夫も失踪(しっそう)してしまい、残された娘が祖父の家に引き取られている。娘は父を探しはじめるが、それも途中でうっちゃらかされ……。

 なーにコレ。どうなってんの? 読者は目を白黒させずにいられなくなるだろう。

 だが! この時間感覚の失調と、1行も油断できない予定調和の攪乱(かくらん)こそが、この小説を読む醍醐味(だいごみ)なのだ。

 『コップとコッペパンとペン』という表題も、前の言葉の一部をとって次につなげていくという小説の構造を示しているだけで、それ以上の意味はない(たぶん)。

 もつれたり、とぐろを巻いたり、あらぬところに延びるロープや糸や紐(ひも)が作中には幾度となく登場する。縦糸と横糸で整然と織られているのが大方の小説だとしたら、この小説は、そう、アナーキーにもつれた糸。ほぐそうとすればするほど足をとられる。長いものには巻かれよう。イライラが快感に、変わるよ。

    ◇

ふくなが・しん 72年生まれ。著書『アクロバット前夜』、共著『あっぷあっぷ』。

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