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書評

ラジオな日々―80’s RADIO DAY [著]藤井青銅

[掲載]2007年06月03日
[評者]重松清(作家)

■喧噪と熱気、手書き原稿の時代

 喧噪(けんそう)で始まり、手書きの原稿で終わる青春記である。

 時代は1970年代終わりから1980年代前半にかけて。主人公の「ぼく」はラジオを主戦場とする駆け出しの放送作家――著者の藤井青銅さん自身である。〈小説的な脚色はあるけれど、事実関係は変えていない〉本書には、まず二つの味わい方があるだろう。

 一つは、80年代前半のラジオの舞台裏を描いた業界グラフィティとして。もう一つは、〈海のものとも山のものともわからない初心者〉だった「ぼく」が、迷いながら、戸惑いながら、そして周囲のオトナたちに鍛えられながら生きていく青春小説――ただし恋愛抜きの、硬派な「仕事小説」として。

 さらに加えて、本書にはもう一つの魅力もある。

 藤井さんは、当時のラジオ業界に満ちていた熱気を、こまやかに、敬愛と、ある種の哀惜を込めて描きだしているのだ。〈あの良く言えば活気がある、悪く言えばうわついた雰囲気はなんだったのだろう?〉〈戦場のようであり、お祭りのようでもあった〉〈蛍光灯で煌々(こうこう)と照らされた制作フロア全体に、すべての音がうわ〜んと響いていた。ぼくは、沸き立つような熱気を感じた〉……。

 もちろん、その喧噪は必ずしも仕事に直結しているわけではない。作中に〈情報機器の進化で、すべてのオフィスは静かになった〉とあるように、喧噪はやがて効率化のもとに「むだなもの」として淘汰(とうた)されてしまうだろう。手書きの原稿だって同じだ。しかし、はたしてそれらはほんとうに「むだなもの」だったのか、と藤井さんは問いかけるのだ。

 物語は、初めてラジオ局を訪れた「ぼく」がフロアの喧噪に気おされる場面から始まり、手書きの原稿がとても重要な小道具、いやむしろ「ヒロイン」のような役割を負って登場する場面で締めくくられる。ラジオが〈今よりももっと人間臭く、効率の悪い産業だった〉時代の話が2007年のいま刊行されることの意味と意義は、そこにこそひそんでいそうな気がする。

    ◇

 ふじい・せいどう 放送作家。「夜のドラマハウス」「オールナイトニッポン」など。

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