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書評

英語を禁止せよ―知られざる戦時下の日本とアメリカ [著]大石五雄

[掲載]2007年06月03日
[評者]北田暁大(東京大学准教授・社会学)

■敵だから排除か? 理解か?

 戦時中、セーフ、ファウルといった野球用語が「よし」とか「だめ」といった日本語に置き換えられたことはよく知られるが、スタルヒン投手が須田博と「改名」していたということまで知る人は多くはないだろう。ディック・ミネは三根耕一に、フェリス女学院は横浜山手女学院に、雑誌キングは富士に、鉛筆のHBは中庸にそれぞれ変えられている。

 本書はこうした英語禁止の風潮が、言論界、政府、民間企業、教育といった様々な領域に広がっていく様子を具体的に記述したうえで、日系2世の若者を登用しつつ日本(語)研究に力を注ぎ、巧みな情報戦を展開していたアメリカの姿勢と比較している。日常生活、教育から敵性語を排除しようと試みた(そして情報教育を軽視していた)日本と、敵であるからこそ、日本(語)の理解を目指したアメリカ。このコントラストの持つ意味は決して小さいものではない。

 もちろん、本書では日系人強制収容所のことも触れられており、アメリカの「日本理解」を手放しで肯定するものではない。「敵でありつつも/だからこそ理解する」という姿勢の持つアクチュアルな意義を、具体的な事例のなかから浮かび上がらせてくれる。

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