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書評

解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯 [著]ウェンディ・ムーア

[掲載]2007年06月10日
[評者]渡辺政隆(サイエンスライター)

■裏社会にも通じた先駆的な科学者

 ロンドンの法律事務所が立ち並ぶ街区の一画を占める王立外科医師会には、博物学ファン必見の解剖学博物館がある。本書は、その博物館が擁する膨大なコレクションの礎を築いた18世紀の外科医ジョン・ハンターを巡る興味尽きない物語である。

 18世紀の英国には、業種として内科医と外科医がいた。内科医とは上流階級を相手に問診をし、気休めの処方箋(せん)を与える職業。それに対して外科医は、麻酔も消毒という意識もないまま、切った張ったに明け暮れる職業だった。いずれの医師になるにも正規の教育はなく、内科医はひたすら教養を修め、外科医は徒弟的な実地教育を積むのみ。

 ただ、私塾のような解剖学校は存在し、人体解剖なども行われていたのだが、献体制度などない時代のこと、遺体の入手先が最大の難問だった。その結果、埋葬されたばかりの遺体を盗掘する商売まで成立していた。

 解剖学校を営んでいた兄を頼ってスコットランドからロンドンに出てきたジョン・ハンターが最初に命じられた仕事も、盗掘グループからの遺体買い付けだった。闇社会の人間とも如才なくつき合えたハンターは、学校運営の力となると同時に、解剖と標本作りでも秀でた才能を発揮した。また、外科医としての修行も積んだハンターは、当時は希薄だった科学的な思考と方法を医学に導入し、合理的な治療法を数多く生み出し、「近代外科医学の父」とも称されている。

 その一方でハンターは、動物の諸器官の比較研究に情熱を注ぎ、ありふれた動物から珍獣まで手当たりしだいに購入しては飼育し、死体は解剖した上で美しい標本に仕上げた。ミミズの消化器官からヒトの胎児まで、今もハンター博物館に陳列されあやしい輝きを放っている標本群はその遺産なのだ。

 比較という研究手法から動物間の類縁を考察したハンターは、ダーウィンに一世代先んじた進化論者でもあった。近代医学創始期の混乱状態と、魅力的な人物を生んだ18世紀ロンドンの喧騒(けんそう)と人間模様を活写した快作である。

    ◇

 The Knife Man、矢野真千子訳/Wendy Moore 英国のフリーランスジャーナリスト。

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