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書評

永田町VS.霞が関―最高権力を奪取する者は誰か [著]舛添要一

[掲載]2007年06月24日
[評者]小林良彰(慶應大学教授・政治学)

■中枢から描き出す生の政治の舞台裏

 政治の世界は魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)し、誰がどこで、どのようにして政策を決めているのかが不透明である。

 例えば議員立法を通すためには、自民党なら部会から政調会を経て総務会に至る党内手続きと、衆参両院の委員会と本会議を通過させる国会手続きの双方をクリアしなくてはならない。だが、その過程でどのような駆け引きや妥協が生まれているのだろうか。

 そうした疑問に政治の中枢にいる著者が答え、実名入りで生の政治の姿を描き出す。著者自身もかかわった放送法の改正では、総務大臣がNHKに対して一定の国際放送を行うことを命ずることができるという放送法の文言をめぐり、これを改正したい片山参議院幹事長とそれに反対する菅総務大臣ら関係者らのやりとり、そして条文の変化していく過程を詳細に伝える。

 また、著者の眼(め)は、政治アクターとしての霞が関や永田町、そしてマスメディアに対して厳しく向けられる。

 まず霞が関については、所管する省庁が、「五年に満たない財政投融資は国会の議決を経る必要がない」ことを盾に自由に予算を使う野放し状態で、さらに特別会計も各省庁の既得権益の温床になっていることを指摘する。また、霞が関が補助金を地方に配分してハコ物を造り、ノンキャリアの天下りを押しつけてくるという実態も明かす。

 永田町に対しては、政策決定の場である党の部会にも出席せず、勉強も怠って何でも霞が関に依存する力量のない政治家がいると嘆く。霞が関は都合の悪いデータは出さない。一方的に利用されないためには、自分独自のネットワークを生かした情報収集と知識が必須であると説く。

 また、現在のテレビメディアに対しても、視聴率を追い求めるあまり、悪者を作り上げて叩(たた)き潰(つぶ)すのが常套手段(じょうとうしゅだん)として痛烈に批判する。そして、何が正しいのかを議論する土俵としての活字メディアの復興を期待する。

 有権者が見ることのできない舞台裏が明らかになり、現実政治の全体像と問題点が、見えてくる。選挙に行く意義を感じさせる一冊である。

    ◇

 ますぞえ・よういち 48年生まれ。東京大助教授などを経て参院議員。著書多数。

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